人間と藝術-映画監督・塚本晋也さん

海外での日本映画の流れを変えたとされる塚本監督作品。日本ではかつて生まれることのなかった特異な映像が誕生した背景には何があったのか。肉体の喪失感を抱いたまま都市生活を重ねる人間の、破壊と再生を、恍惚と不安を、生と死を、境界線上のエロスをまじえながら紡ぎ続ける異才は、いたって穏やかな口調で語る。東京で生まれ、東京で育った表現者はどうして「都市と肉体」を描こうとするのか。そして最新作「六月の蛇」について、「世界のTSUKAMOTO」はつまびらかにしてくれた。



「都市と肉体」平和で自由なはずなのに、がんじがらめになっていくようなイメージがあるのです。

映画監督「塚本晋也」のベースにあるもの

塚本晋也さん
Shinya Tsukamoto

1960年、東京都渋谷区生まれ。14歳で初めて8ミリカメラを手にする。高校卒業までに7本の映画製作を続ける。日大芸術学部美術科在学中は自ら劇団を主宰。同校卒業後、CF製作会社に入社。退社後、85年に演劇集団「海獣シアター」を結成。86年、「普通サイズの怪人」で映画製作を再開。89年、16ミリ映画「鉄男」で劇場映画デビュー。映像と音で観客を圧倒する「カルト・ムービー」は国内外でファンを獲得。同作で「ローマ国際ファンタスティック映画祭」グランプリを受賞。92年の「鉄男II/BODY HAMMER」は30以上の映画祭に出品され、7つの賞を獲得。97年には「ベネチア映画祭」の審査員を務める。監督作品は「ヒルコ/妖怪ハンター」「バレット・バレエ」「双生児」ほか。俳優としても数多くの作品に出演。「とらばいゆ」(大谷健太郎監督)などで'02年毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。

____どのような子供だったのですか?

 異常に内向的で、絵を描くことが好きな子供でした。でも、同時に自己顕示欲もあったんでしょうね。学校で歌を歌うのも恥ずかしくてできなかった僕が小学校4年生の時、学芸会のお芝居で準主役をやった時から急に空が青くなって扉がパッと開いた。それが楽しい体験だったことが、社交的になっていくきっかけです。大きな声を出して表現するという経験を経て、初めて演じることと何かを作ることが合体して映画作りのモチベーションになったようです。だから8ミリ映画は格好の道具でした。実は子供の頃には堀江謙一さんの「太平洋ひとりぼっち」が大好きで、堀江さんのような冒険家の世界に行くか、8ミリ映画の世界に行くか、中学生の時にはずいぶん迷っていました。ある時、自分でイカダを作ってみたんです。結局、イカダが壊れ、その木が大道具になってしまって、映画の道に入ってしまった。それが転機だったんですね。いまだに脳の中だけの願望としては、肉体を使った冒険を描いています。

____そんな塚本さんが、これまでの映画で感情を押し殺した、抑圧された人間を描こうと思ったきっかけは?

 僕は高度経済成長期に東京で生まれ育った。それはビルがどんどん建っていく頃で、そういった景色を見ていると嬉しかった。10代、20代は高層ビルが建っていく様をまぶしく見ていたんです。東京が都市になっていく喜びでしょうか。しかし、30歳を過ぎたくらいから、ビルが建ち並ぶ景色にだんだんと圧迫や窮屈さを感じるようになったんです。現在では昔みたいな大家族は少なくなって、核家族が独立して生きているので、東京で暮らしているほとんどの人は自由を感じて暮らしていると思います。それにも関わらず、だんだん身動きが取れなくなるところに、はまっていってしまうように思ったわけです。そういった思いが「鉄男」や「鉄男II」から始まっているテーマに描かれています。ですから、僕が描いた人間はいかにも抑圧されているという人々ではなく、都市が好きだけど、どうしてか圧迫されるような感じを持っている人たちだと思うんです。あの作品はSFですし、僕はビルが好きだからきれいに撮っている。でも、ラストシーンで壊してしまう。好きだけど壊しちゃうという、心の中にある摩擦みたいなものを描こうとしたんですね。あの頃からなんとなくテーマが一緒で、好きなはずなのに圧迫感があり、息苦しくなっているということが自分の基本にあるようです。そこから先は「なぜ東京で生きていると圧迫を感じるのか」ということを模索しています。95年の「東京フィスト」の時には肉体的なものが喪失していくような感覚があった。電脳都市と言われているように、イメージとしてはコンクリートの蜂の巣の中に脳味噌だけが並んでいるような感じ。電気では複雑に交信しているが、肉体的なコミュニケーションがないような思いがあったので、肉体感が喪失していく恐怖を描きたかった。切実な「生き死に」を感じることが弱まってしまっているような気がしたんですね。過保護にされ過ぎているせいか、命に限りがあるということもつかめず、生のありがたみがわからなくなっている。そんな状態でコンクリートの中で平和に暮らしている。平和に暮らしているけども、クリーンなところにいると過剰にそのことを守ろうとして、妙に潔癖症であったり、自然のものが入ってくると気持ち悪いという強迫観念みたいなものを感じたりする。そうして東京に生きている人がカチカチになっていくような気がしています。平和で自由なはずなのに、がんじがらめになっていくようなイメージです。




六月の蛇

「都市と肉体」をテーマに撮り続ける塚本晋也監督7作目にあたる最新作。本作で2002年の「第59回ベネチア国際映画祭」審査員特別大賞を受賞。舞台は梅雨の東京。電話カウンセラーとして働くりん子(黒沢あすか)のもとに、彼女の言葉で自殺を思いとどまった男・道郎(塚本晋也)からの狂った脅迫が届き、りん子の恥辱と恐怖に満ちた日々が始まる。妻の心の中にひそむ蛇が目覚め、夫・重彦(神足裕司)は眠らせていた感情をほとばしらせる。出演は寺島進、田口トモロヲほか。製作、脚本、撮影監督、美術監督、編集とも塚本晋也。5月下旬より渋谷シネ・アミューズ、銀座シネ・ラセット他全国ロードショー。同名の、塚本氏初の書き下ろし原作小説も発刊されている。
「六月の蛇」公式サイト
http://www.asnakeofjune.com/



____では、肉体と精神の関係をどのように捉えているのでしょうか?

 人間が肉体と精神でできているとするなら、肉体という入れ物があって初めてが精神あるというように考えています。だから「都市と肉体」という、割と即物的なところからアプローチしているような気がします。それにしても肉体という器がどうしていろんなことを考えるのかなという疑問は解けない。肉体のほうがいい状態の時は考えていることもいいし、どんなに崇高にしていてもコンデションが悪ければ怒りっぽくなったり、悪い人間になっちゃったりする。身体のほうを良くしておくと、そこに入ってくるものも良くなっていくように考えてしまう。

____外側からの作用によって、内側のものに知らしめるという意図は?

 入れ物があることを忘れてしまっている人たちのことなのかもしれませんね。肉体をおろそかにしちゃっている。だから肉体を叩いてみて「あっ、肉体があるのね」というように覚醒させる。東京で生きている、平和ボケしている頭をハンマーで叩いて目を覚まさせる、という思いで映画を作ってきた部分もありますね。観客に覚醒感を与えたいし、自分も覚醒感が欲しいというのがあるのかもしれないですね。平たく言えば「肉体に戻りましょう」ということなんです。エロスについても、だいたいエロスは僕の映画についてまわっているものですが、セックスの性は生きたり、死んだりすることと密接なものだから、自然と結びついてしまうものかなと思っています。

____映像のイメージが先行していて、それを具現化したいという思いがあるわけですか?

 1987年の「電柱小僧の冒険」や「鉄男」あたりから、ある時期までは映像のイメージ先行でしたね。「鉄男」の時は映像のイメージばかりがあって、やりたいことのつじつまが合えばいいんだと考えていました。映像というのは映像だけでなくて、感触とか意味も入っているので、それがつながった筋は自ずと典型的な筋ではなくなるけど、自分のやりたいことにはなっているはずだ、と思った。先に言ったように映像のイメージが先行する僕が「物語」という言葉を使うこと自体、意外だと感じられるでしょうが、最近は物語への希求とか、もう一度物語の世界へ戻りたいという願望が強くなってきたんです。子供の頃にお母さんが読んでくれた話は、脳がクラクラするくらいおもしろかった。何回も聴いているのに、あるフレーズが聴きたくて「話を聴かせて」と母親にねだり、その部分が来ると「うひゃー」って嬉しくなる感じ。そういった物語への回帰願望が強いですね。

____アプローチは何であれ、表現することが好きなのですね?

 もしかすると世の中で大事なものから拾っていくと、表現はいちばん最後に来るものなのかもしれません。でも、最近は表現することはなくても生きていけるかなと思いながらも、意外に人は生きていけないのではないかとも感じています。以前は「ごめんね、こんな仕事をやっていて。みなさんはパンを作ったり、世の中の役に立つことをやっていたりするのに、自分は鉄を顔にくっつけて何をしているんだ」とか、「人類が滅びるとしたら自分から滅びるんだろううな」と思ったりしていました。現像所にフィルムを出す場合も「すいません、こんな映画、現像してもらって」って具合に引っ込み思案だったんです。最近、よくやく「現像してよ」という姿勢になってきました(笑)。




監督が語る最新作「六月の蛇」

____最新作「六月の蛇」ですが、全体を覆っているブルーはテーマと関係があるのですか?

 僕はカラーの作品でもそんなに色は使わないんですね。コントラストがあるもの、陰と明るいところの対比みたいな絵が好きなので、色をカラフルに使うのはあまり好きじゃないです。あるいは映画のテーマに必要な色しか入れない。都心が好きだから「鉄男II」では、まずきれいなガラスのようなトーンで東京を撮りたいと思った。一方ではそれをぶっ壊す肉体はオレンジ色で発熱しているような感じを思い描いた。二色の対比ですね。そうやって映画に必要な色を決めるわけです。白黒でも良かったんですが、雨が重要な意味を持つ映画なので青を入れてみた。「六月の蛇」は白黒の映画に青を少し入れると、青が黒に滲んで、予想しない効果が出るんです。どこかコンクリートに水が染みたような雰囲気を感じ、「なおさらいいや、テーマにぴったり合っている」と思いました。白黒のイメージは、ヌードは白黒で撮ると艶かしく、非常にきれいだからです。

____作品のイメージとしてジメジメの梅雨が先にあったのか、それとも人に巣くう蛇のようなもののイメージが先にあったのですか?


六月の蛇『本』
発行:マガジンハウス
定価:1400円(税別)

 蛇が最初で、その背景として六月がいちばん良かったわけです。肌寒い日も実はありますが、六月は女の子がミニスカートになったり、男性が落ち着かなくなったり、夜になるとおまわりさんが徘徊しはじめる、どこかいかがわしい季節。夏に至るまでにそういった怪しい季節があるわけです。一方、水は生命を誕生させるもの。水溜りができ、ボウフラがわいたりしますから、いやがおうでも生命が誕生する。だから命や肉体のことを忘れている人に水がエロスと一緒にバンバン降りかかっていくというイメージです。雨はどちらかと言うと、「流す」というよりは「煽る」というイメージですね。子供の頃から火や水を見ると、燃えましたよね。エモーションが高まるんですね。役者も雨を降らせると、芝居に熱が入る。雨をバリバリ降らすと、「よーし、やってやる」って気になりますよ。まさに水効果ですね。

____「六月の蛇」の俳優のセレクトのポイントはどのようなところですか?

 脚本を書いている最中から神足裕司さん(りん子の夫・重彦役)のことを思い浮かべていました。お顔が昔のロシアのテレビに映っているテレビアナウンサーみたいな印象です。そんな無国籍的な味わいがありますね。黒沢あすかさん(りん子役)は電話相談室にいる女性がだんだん変化していく、ある種のSM的な設定ではあるが、変ないやらしさは出したくなかった。りん子役はもともと果敢に地面に立っている強さがあるような女性にお願いしたいと思っていて、黒沢さんはそういう方でした。黒沢さんがりん子を演じてくれたお陰で僕が考えていたものとは別の良さが表現できた。エロティシズムでもぐちゃぐちゃのエロティシズムではなくて、やわらかな可愛らしさが出たのは黒沢さんが演じてくれたおかげですね。彼女は映画の中で起るエピソードをいやらしく考えていなかったのでしょうね。

____最後に監督自ら映画の宣伝をお願いします。

 劇場に足を踏み入れる時には、エロティシズムをうたった映画として期待してお越しください。でも、劇場を出る時には奥さんや恋人のことを大事に思える、一挙両得の映画です。エロ映画だからといって恥ずかしがらず、ベネチアで賞を取ったらしいよ、と堂々とのれんをくぐって下さい。(笑)。実は「ベネチア映画祭」の上映の際には、「この作品は、女性に嫌われるかな」と思っていたのですが、意外なことに、男性より女性のほうに反響が良かったんです。女性にはある種の開放感を感じてもらえるようです。ですから、どちらかと言えば女性に観てもらいたい。でも、男性も、ね。という映画ですね。

____今日はどうもありがとうございました。次回作も期待しています。



「カルト・ムービー」を生み出す映像作家は、都会で生きる人間が抱く「肉体の喪失感」を口にする。生を実感できない都市生活を破壊するのでなく、実は再生することを願うのだという。そこには東京・渋谷で生まれた塚本監督が見続けてきた、変貌する景色と閉塞する人間たちへの激しく、静かなまなざしが映し出されている。最新作「六月の蛇」は雨が降り続ける東京が舞台。驟雨の向うにほのかな希望のさす未来が開かれているようだ。

text by:東野 慶太



Present

塚本晋也監督のサイン入り「六月の蛇」プレスシートを3名様にプレゼント!
詳しくは、こちらをご覧ください。
塚本晋也関連書籍
「塚本晋也読本/普通サイズの巨人」

価格:未定
発行:キネマ旬報社
発売日:2003年5月20日予定

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