未来への質問状 特別連載Vol.3

石井威望氏インタビュー〔後編〕

連載3回目は、東京大学名誉教授の石井威望氏のインタビュー後編。前号の前編では、量子コンピュータのとらえ方や、パラダイムチェンジが起り、デジタルから次の段階へと思想的変化が起っていることなどをお聞きした。後編はさらに量子コンピュータの出現によって変容する人間の意識や社会の変化についてなどを掘り下げて尋ねてみた。そこから現在の混沌とした状況が、これから始まる新しい世界の前夜であることが見えてきた。

量子コンピュータに至るまでの歴史的経緯

1900年プランク(独)が量子の考え方
1904年日露戦争開戦
1905年アインシュタイン(独)が「相対性理論」を発表。
1935年シュレディンガー(独)が「シュレディンガーの猫」と呼ばれる思考実験を行う。
1936年チューリング(英)がプログラム計算機「チューリング・マシン」の考え方を提示。
1941年太平洋戦争開戦。
1945年ノイマン(米)がプログラム内蔵式、現代のコンピユータの基礎を提案。
1946年世界初のコンピュータENIAC誕生。
1957年江崎玲於奈が量子力学的トンネル効果を実証する「エサキダイオード」を発明
1959年ファインマン(米)が講演で新しいコンピュータの概念を提示
1960年量子工学の理論を用いたレーザー誕生
1963年ケネディ大統領、ダラスで暗殺
1975年Microsoft社設立。MicrosoftBASICを発表。
1976年Apple Computer社設立。Apple Iを発表。
1985年ドイッチュ(独)が「量子チューリングマシン」の理論を考案
1989年ベルリンの壁崩壊
1994年ショア(米)によって量子コンピュータが実現すれば因数分解が高速に行えることが証明される
1998年NTT基礎研究所、理化学研究所、オランダのデルフト工科大の共同研究チームが人工分子の実現に成功
1999年科学技術事業団とNECが一量子ビットの実現に成功
1999年NECが個体電子素子による量子コンピュータ回路の開発に成功
2000年IBMのチャンらのグループがNMRを用いた量子コンピュータの実現に関する実験を小規模(5量子ビット)ながら実現
2001年IBMのチャンらのグループが7量子ビットを用いて15の因数分解をNMR量子コンピュータ上で行う実験に成功


石井威望(いしい・たけもち)
TAKEMOCHI ISHI

1930年、大阪府出身。1954年、東京大学医学部、1957年、同大学工学部機械工学科卒業。通産省重工業局に勤務後、東京大学大学院に進学し、博士課程を修了、工学博士。専門はシステム工学、医用工学、マルチメディア。東京大学工学部教授を経て、1991年、東京大学名誉教授。国土審議会会長をはじめ、厚生科学審議会、産業技術審議会の委員を務める。著書に「科学技術は人間をどう変えるのか」、「『iモード革命』とは何か!」(監修)、「モバイル革命」、「日本の技術はどこから来たか?」、「ITビジネス最新リポート」、「iバイオテクノロジーからの発想」など多数。

____キュービタルな発想を理解するために必要な姿勢とは何ですか?

実在する社会はパプニングに満ちています。急に何かが起る。頻繁に故障が起る。故障が予定できるのなら、それは故障ではありません。予期しないことがいっぱい起こるのが現存する世界なのです。だから、キュービットのコンセプトもある意味では、それを素直に受け入れているわけです。どうしても、シングルリアリティ(唯一の実存)に決めなくてはいけないという論拠はありません。東洋や日本には、多世界やパラレルリアリティ(並行実存)の考え方は昔からあったんです。老子、荘子の学問の中にもパラレルリアリティへの流れを見い出すことができます。また、マンダラにしても古くからあります。日本人は「一事が万事」と言うとみんな納得しますが、それは潜在意識の中にそういう思想があるからなのでしょう。一事の中に全部が入っていると考えるのは、フラクタルの発想です。多数の情報を積み重ね合わせて関係性を主対象として浮き彫りにする導き出すカオス・フラクタル理論は、これまでの伝統的概念でも実感を伴う受け入れやすい考え方だと思うのですが、キュービタルという発想は、また全くやや質の異なるものですね。

相対性理論にしても量子論にしてもデカルトやニュートン力学から離れています。その離れていく、理論体系における第一歩がフラクタルや複雑系であったと思います。そしてパラレルリアリティのひとつのあらわれが量子コンピュータなんです。思想の流れとしては、人類は一度に構築できないので、ひとつのところでブレイクスルーし、また他のアイデアが加わるという展開を繰り返します。それも情報と密接に絡んでいますから、量子コンピュータがいろんな意味で次の大きなパラダイムの変化への、必須のツールになるわけです。フラクタル理論や複雑系の位置づけはそういったスケールから見ると、ひとつの重要な位置づけになる、大切なステップだったんですね。


____量子コンピュータがある世界に生まれた子供は、どんな意識を持っているでしょうか?

キュービタルな世界観をごく自然に受け入れるでしょう。現在でも様々なシミュレーションの実験を行うと、すんなり受容して遊んでしまうのは子供達です。子供は無邪気で先入観や固定観念が無いからでしょうね。ゲームやコンピュータもそうでしたし、今、「ハリー・ポッター」や「マトリックス」の人気が非常に高いのも、次の社会へと続く前触れかもしれません。時代はいつもそういうふうに変わってきたんです。たとえばギリシャの数学、その代表これはユークリッド幾何学ですが、完璧な体系だと思います。でも、それはニュートン力学までのフォーマットであって、「相対性理論」以降の世界では広く一般的には使えなくなってしまった。今の学生は「相対性理論」以降のフォーマットからスタートします。かつてギリシャ数学には、作図は定規とコンパスしか使ってはいけないという決まり事があり、私もやりました。あとから考えてみると、解析幾何学をもってすれば簡単にできることが、定規とコンパスというタガをはめられると、かえって反対に難しい問題になってしまう。アナログからデジタルに移行する際にもそうでした。いま、そういったパラダイムチェンジの象徴的な存在になっているのが量子コンピュータなんですね。

____未来について考える時、「コンピュータが人間を超えてしまったらどうなるのか?」という不安を持つ人がいます。

人々はこれまで安定したパラダイムにいたものだから、シングルリアリティの発想からとらえてしまうので不安に感じるのでしょう。以前のものにこだわり過ぎていると、次の発展について行けない。私にはそういう印象があります。しかし、次の展開をすべて予測するということは、激動の時代にはたいそう難しいことです。「次にどうなりますか?」という質問を受ける時に、「こうなりますよ」と答えるのは、ひとつのパラダイムが確定している中での話です。パラダイム自身が変わる時には、我々はまだその世界に行っていないのだから答えは出しづらい。でも、そのこと自体が発展している証拠だと思います。

____様々な試みによって新たな秩序が生まれ、要素を足したり掛けたりしているうちに新しいパラダイムに移行する。その過程があってブレイクスルーできるのですね?

先ほど世の中には予期しないことがいっぱい起こる、と言いましたが、かといって将来のことを考えないのではなくて、たくさんのシミュレーションをする必要があります。事実、バイオ分野などはシミュレーションをしないと、動物実験で非常にたくさんのネズミを虐殺する使うことになるけれど、ゲノムがわかってきたから今日では、ゲノムの世界でシミュレーションできる。ゲノムと量子コンピュータがよく似ているのは、パラレルリアリティのように、事実ゲノムの個人差がいっぱいある点からです。それをみなが同じであるように扱い、統計的に平均値でまとめ、納得してしまう態度がいま、問われているのだと思います。シミュレーションなどは本来、キュービットを使って取り組むのに向いているし、そもそもシミュレーションという行為はパラレルリアリティそのものでキュービタルな世界なのです。これからゲノムの世界をキュービタルなモデルで考えると、現在取り組んでいるよりぐんと範囲が広がる。 量子コンピュータはパラダイムチェンジの大きな要素だと思いますが、同時に社会の様々な分野で変化が起こってくるでしょう。たとえば私は最初に医学が専門だったので、医療を例にあげてみますと、いま副作用のある薬はずいぶんありますよね。では、副作用でどれくらいの人がなくなっているのか。例えばアメリカでは、年間200万人が入院するくらいの重症に苦しみ、10万人が死んでいるといわれています。その際に納得させられている理屈は、「平均値で作った薬によって、たくさんの人が助かっている。だから10万人は我慢してください」というものです。だけど、ゲノムで個人差がわかりだすと、この人には副作用がないのでこの薬を使う、この人は使わない、ということができるようになる。使う時に「ひとり一人の個性を、ゲノムで区別して行きましょう」というようになると、これまでの平均値や分布の論理ではなくなるわけです。

____科学の進歩によってアイデンティティや多様性が、実生活の中でもっとクローズアップされていくんですね?

そうです。従来このような新しい考え方の医療をテーラーメイド医療と言いますが、本当は病気はひとり一人オーダーメイドで対応していかなければいけない筈です。けれど今までは病名がひとつつけば、それに対してマニュアル的に「錠剤を3粒飲めばいい」という乱暴なロジックになっていた。でも、それはゲノムの詳細な資質がわからなかったからです。わかりだすと、今度は着実にひとり一人に対応できる。最近、DNAチップと言う検査用具で、半導体を作っている技術でどういう遺伝子の分布なのかが簡単にわかるようになってきた。といってもまだ1個100万円ほどするんですが、産業界が本格的に開発に乗り出していますので、これが1万円になり、1000円になるのは時間の問題です。ひとり一人の体温や血圧を測るのと同じように、医療を個人ごとにアイデンティティファイする。病気も漠然とカテゴリーはあるけども、たとえば「SARSの病原体だからあなたもこうしましょう」というシンプルな治療に対して、これからはみんなが「自分のDNAはこうだから」と、個性を主張して拒否したりすることになるでしょうね。

昔は「さじ加減」と言って、ひとり一人の薬は違っていたんですが、現在はとても荒っぽいですね。体重1キログラムに対して何グラムいくつだとか、年齢に対していくつだとか。また病名が決まれば、機械的に誰に対しても治療が決まってしまう。これはおかしなことです。21世紀の本質は、パラレルリアリティのように、それぞれがすべて違うような世界。人間の個人差と取り組んでいくためのテクノロジーはこれまでありませんでしたが、ITが先に変化しました。それに対応して、さらにコンピュータの範囲を超えるニーズが出てくるわけですね。キュービタルは、極端に言えば、従来ビットを贅沢に使っていたのをキュービットの利用に切りかえて本格的に膨大な個人差を吸収していくようなITなのです。ですから巨大なマーケットニーズが広がってきているとも言えるんですよ。


____量子コンピュータのある世界は、自分にとって具体的にどんな影響を持つのか、実現したらどんな生活が待っているのかを知りたい人も多いと思います。

現在は閉塞感にあふれています。人々は消費需要が少ない、と嘆いていますが、実はこれから上述のような消費需要が始まるのです。仮に病気になったとすれば、ゲノムのことを調べるでしょう。その要求に対する供給、サービスが起ってきます。それは確実なニーズです。テクノロジーの進化でこれまで不可能であったサービスができるようになるし、できるようになるから、考え方も変わる。考え方が変わるからニーズも拡大し、ドッと出てくる。そういった循環が始まります。

人間は環境や出来事から多くの影響を受けるものです。近年、なんとなくあきらめの風潮が蔓延して、「世の中はシンプルなものだ」ということにしてしまいたい錯覚があるのではないでしょうか。薬で言えば、「1粒で万病に効く」とか。でも、ひとり一人が異なるわけだから、万病に効くわけがないんです。おかしいと考えるほうがノーマルですよね。ひとり一人はこんなに違うんだ、その個人をどのようにフォローするのかというところに焦点が集まっていく。思想が変わっていく。ある意味ではルネッサンスなのだと思います。それを物質まで含めて展開していくのがパラレルリアリティであり、ビットに象徴されるキュービットタルという広い概念です。量子コンピュータはそれのひとつのあらわれとして、これらを象徴しつつ先端を切る牽引力になっている。そしてその次にバイオやナノテクノロジーなど21世紀の主力産業が続々と登場するんでしょう。

一方では、デジタルコンピュータの未来に限界が見えてきたとも言えます。なぜ真っ先にIT分野が活性化したのかと言えば、先が見え始めたから。先が見えると、みんなが動き始めるんですね。いい例が暗号です。「暗号はデジタルで安心だ」と思っていたのが、「数秒で解読されますよ」と言われちゃうと元気がなくなりますよね。だったら量子コンピュータを導入して対処しよう、というようになっていくでしょう。IT分野が活性化したもうひとつの理由は、資源が枯渇し、新しい資源を求めたことがあります。デジタルの先が見えたから、反転して量子的な不確定な状態を新しい資源として使ってやろう、という着想が生まれたのです。

技術の進歩というのは小型化です。でも小型化していくと、ひとつひとつの微小な構造の単位はナノメーターのような量子力学の世界に入り込んでしまう。そうすると、量子特有の不確定な世界になっていく。0か1かがわからなくなって困っちゃった、というのはアメリカの物理学者ファインマンの出現の前ですが、0か1かにこだわっているのは資源の浪費みたいなものです。実はたいへんなチャンスだったんですね。「キュービットにすればいっぱい情報が入るよ」とファインマンが逆転してくれたわけです。ですから、現在は多くのチャンスにあふれた、可能性に満ちた時代で、量子コンピュータは次世代の可能性の象徴なのです。


____〔取材を終えて〕____

パラダイムチェンジの象徴が量子コンピュータであるとするなら、私たちはパラダイムチェンジの集団の先頭を切って走るランナーの姿を、おぼろげながらとらえつつあるのかもしれない。焦点が定まれば、それがどんな姿をしているのか、いつか見えてくるはずだ。意外性や多様性に満ちたキュービタルな世界では、個のアイデンティティが注目されるようになるだろう。そして、それと同時に、私たちは現在生きている世界でのパラダイムを手放す勇気も求められている。それは、一つの正解を求めるのではなく、既存の概念を開放し柔らかい思考で全体を受容する力なのかもしれない。

text by 倉田楽




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