■ ■ ■

ニューヨークから考える日本人のアイデンティティ

アメリカを襲った同時多発テロから2年。
一連の戦争により、自由の国アメリカの限界が露呈されている。
今ほど多様な価値観、多様な表現が求められる時代はないように思われる。
そこで日本人がアイデンティティを確立し、他の国の人々とうまくやっていくためにはどうすればよいのだろうか。ニューヨーク在住のジャーナリスト、青木冨貴子さんにお話を伺った。


●●アメリカは変わったか

青木冨貴子さん / ジャーナリスト

出版社勤務を経てフリーランスジャーナリストとなる。
84年、渡米し『ニューズウィーク日本版』ニューヨーク支局長を3年間務める。
87年、作家のピート・ハミル氏と結婚。
主な作品に『FBIはなぜテロリストに敗北したのか』『デンバーの青い闇』『ガボものがたり』(すべて新潮社)
『目撃アメリカ崩壊』(文春新書)『ライカでグッドバイ-カメラマン沢田教一が撃たれた日』『アメリアを探せ』(ともに文芸春秋)などがある。

□ワールドトレードセンターのテロを間近で体験されたそうですね。

あの朝、私はまだベッドにいたんです。南タワーに飛行機がぶつかる2回目の衝撃で飛び起きました。アパートにトラックが衝突したのかと思った。急いで仕事から帰宅したピートと現場へ駆けつけました。自宅からワールドトレードセンターまで歩いて13分。地面には血痕や逃げるために脱ぎ捨てられたおびただしい数の靴。見上げると大きな穴のあいたタワーから黒煙があがっていました。私は実際に上までのぼったことがあり、あそこがどれほど高いか知っています。肉眼では見えないけれど、たくさんの人がいる。その人たちが私たちのいる地上を見て、どんなに下に降りたいと思ったか…。何もできずに人が落ちてくるのを見ていることしかできませんでした。すると突然、南館が大爆発、これに直撃されたら命はない。全速力で走って逃げました。

□ニューヨークは実際に被害にあったにもかかわらず反戦デモが盛んでしたね。あれは感動的でした。

本当にそう。私も参加しましたが、タイムズスクエアからワシントンスクエアまでを本当にたくさんの人たちが行進しました。ピートはベトナム反戦の時代から取材していますが、あれほど大規模なデモは初めてだそうです。ニューヨークの人たちは、3000人近い人が亡くなった痛みに圧倒された。だから、もうこれ以上人が死ぬのはたくさんだという気持ちが強かったんです。

□「やりかえせ」という反応は、むしろ実際に経験していない人たちに多かったんですか?

テレビで見ていた人と実際に直面した人では、テロに対する受け止め方がまったく違います。ただ映像を見ていただけの人には痛みは伝わらない。すごい映像に圧倒され、映画を観るような感覚だったのではないでしょうか。そして「やられたから、やりかえせ」という怒りが喚起された。この怒りをブッシュ政権はうまく利用しました。実は、9・11の翌日には「次はイラクだ」いっていたのです。アフガニスタンの戦争は、アルカイダのいる1000m級の山まで行かないでタリバンにお金をまき、中途半端に終結した。そこで治まらない怒りの鉾先がイラクに向けられたわけです。時代の力がワーッと右へいく時には、どうやっても対抗できないものがあるとつくづく感じました。今になってようやく怒りがおさまり冷静になってきたと思いますが、テロを体験したニューヨークの人たちは、非常に複雑な気持ちでこの2年を過ごしたと思いますね。

□アメリカ内外で「アメリカの自由は終わった」といういい方をされることがありますが?

今の共和党政権が、テロ防止法や愛国法などをものすごい勢いで立法化してしまいました。スリーパーといわれ、どこに潜んでいるかわからないアルカイダを取り逃がさない為にといって、当局がさまざまな個人情報を簡単に引きだせるようにしてしまった。法律は一度制定されるとなかなか変えることはできません。これはもの凄く恐ろしいことです。「今度のテロでいちばん失われたものはアメリカの民主主義だ」といういい方をする人もいます。テロ容疑者といって収監されたまま行方がわからない人もいる。アフガニスタンでとらえた数百人は非公開の軍事法廷で裁かれることになるという。民主主義では許されないはずのことが平気でまかり通るようになってしまいました。

□自浄作用はないんですか?

アメリカでは何かあると、リベラルな法律家や市民グループが必ず対抗するかたちで声をあげます。政府のやり方に意義を唱え、裁判所に訴えます。しかし、彼らの声もあまり取り上げられないというのが、現状です。


●●日本人が誇れること、誇れないこと

□多様性ではニューヨークは象徴的なところだと思うのですが、そのなかで日本人がアイデンティティを確立していくために不可欠なことは何でしょうか?

日本のなかにいたら日本人としてのアイデンティティはわからないと思います。すべてがあたりまえでしょう? 異なるバックグラウンドの人と話すことで、初めてわかってくることなのです。そうすれば、自分なりに誇れることと誇れないことが明確になると思います。私にとって日本人として誇れるものは、力のある経済、美しい国土、長い伝統や文化、人々の善意、親切心、勤勉などいろいろあります。とくに現在、食文化には他の国に普及できるくらいの力がある。お寿司はすっかりアメリカの食事になってしまったし、今こちらでは蕎麦が流行っているんですよ。誇れないとつくづく感じることは、明治以降の歴史をきちんと検証することなく、学んでいないことです。そのために「あなたたちはいったい何者なのか?」という問いに答えがでてこない。若い人が韓国に行ってお年寄りに「日本語が上手いですね」といってしまう、ものすごい無知がある。いろいろな意見はあっていいけれど、中高校のうちにきちんと教育するべきです。そのうえで興味をもって本を読み、自分で考えることが必要ですね。

□他の国の人たちとつきあうために不可欠なことは何だと思われますか?

人間は本当に平等だと思えることです。肌の色や言語が違っても、相手の文化を尊重して対等に話ができることです。多くの日本人には、白人に対する劣等感やほかの黄色人種やカラードの人たちに対する優越感がまだどこかに残されているのではないでしょうか。日本は上下関係をとても大事にする社会で、人と向き合った時に、この人は自分より上か下かを考え、それによって態度を決める。日本の過去の文化には上下関係が明確にあったので、お年寄りや目上の方を尊ぶというマナーは必要。でも、年齢や立場が違っても同じベースで話ができる感覚を養わない限り、日本人が世界にでて対等に仕事をしたり、友達をつくることは難しいと思います。

□西洋的な価値観が中途半端に入ってきたことで、日本人の価値観が混乱している部分はありませんか?

他の国の良さを自分のなかに引き込むと同時に、自分の東洋的な良さを保つことができなかったら意味がありません。東洋でなければありえない、相手を尊重する徳のある振る舞いは絶対に失いたくないものです。自分で考えて、良いものと悪いものを取捨選択していくことですね。


●●書くことは自分が何者なのか突き詰めていく作業

□書くこととアイデンティティには密接な関係があると思います。そこで自分を知るためのよい方法があれば教えていただけますか?

書くことは自分が何者なのか突き詰めていく作業です。自分だからこのテーマを選び、自分だからこの原稿を書くということですから、日々アイデンティティに直面し、それを表していく仕事だと思います。自分を知りたければ、いろいろな良い本を読むことを薦めます。テレビは受動的ですが、本は努力しなければ読むことはできない。同じ本でも自分の状況によって感じることが違います。これは自分の本だと決めたら、その1冊を5年後、10年後に読んでみる。同じ本でも、大学を卒業したばかりの頃と仕事を10年間した後では、見えてくることが違いますよね。そういうことによって自分を知るわけです。本の深みで自分を知ることがいちばんてっとり早い。良い本に巡りあう努力をすること、努力して本を読むこと、ものを考える癖をつけること。これが自分のアイデンティティを培っていく第一歩だと思います。

□作品を書く原動力、作品を書くうえで大切なことは何ですか?

自分がどうしても知りたいと思ったことを取材して調べ、わかったことをほかの人に伝えたいんです。新聞や雑誌はその時だけの断片的な情報がほとんどですが、私の本を読むことで報道の背景、それぞれの人の立場やそれぞれのドラマをわかってほしい。そして、自分のなかで考えてほしい。そのために書いているんです。私自身も取材しながら考え、書きながら考えている。取材内容を咀嚼し、すべての疑問に納得できて初めて書く作業に入ります。原稿を書く前の考える作業がないと読んでいる人に伝わるものがない。テーマに振り回されずに自分の原稿を書くことが大切なのだと思います。

□取材では、インターネットをどのように役立てていらっしゃいますか?

調べものには随分助かります。たとえばニューヨークタイムズでは、アラートに興味のあるテーマを入れておくと、毎日その言葉を含む記事の全文を送ってくれるサービスがあります。テロリストの名前で記事を検索し、項目別に整理するといった作業も簡単にできる、大変便利なシステムです。

□今後の作品についてお願いします。

日本はなぜ曖昧でさっぱりわからない、こんな国になってしまったのか。それを知るために、今の日本という国の基本ができた戦後のアメリカ占領時代を掘り下げて取材しています。歴史をもう一度見直すことで、今の時代が初めて見えてくると思うのです。ニューヨークに住んで、来年で20年。今まではアメリカという国の動きを主に書いてきましたが、アメリカの現代ばかりでなく、もっと根本的なことに目を向けて、アメリカと日本をテーマに、特に戦後史について残る仕事をしていきたいですね。


FBIはなぜテロリストに敗北したのか

青木冨貴子著 | 新潮社 | 本体1400円+税

あれほど大がかりなテロがなぜ起こったのか、米当局とくにFBIはなぜテロを未然に防げなかったのか。 「テロの恐怖に立ち向かうためには、沸き上がる多くの疑問に答える必要がある」という思いに促され、膨大な情報やインタビュー、証言によって同時多発テロの全体像を現したノンフィクション。

Back to home.