TOSHIYUKI KITA

環境および空間インダストリアル
デザイナー

1967年、大阪にデザイン事務所を設立。その後、イタリア・ミラノと日本で制作活動を展開し、ドイツ、オーストラリア、北欧など海外からも多くの作品を発表。'81年、ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに「WINKチェアー」が選定される。'84年には同コレクションに「KICKテーブル」が選定される。'87年、パリ・ポンピドーセンター10周年記念展招待作家として未来空間を提案。'01年、パリ・ポンピドーセンターのパーマネントコレクションに28型ワイド液晶テレビ「AQUOS」「WINKチェアー」が選定されるなど国際的に活躍。海外での個展、講演多数あり。国内外のデザイン賞など多数授賞。デザインコンペの審査委員も数多く務める。また和紙や漆など日本の伝統工芸に取り組むほか地場産業活性化事業に関わっている。




1967年に大阪に事務所を設け、1969年にはイタリアのミラノでも活動を開始した喜多さんは以降、日本とイタリア両国に軸足を置きながら、インダストリアルデザインと家具デザインの分野で新しい時代のデザインを創り続けている。「優雅で新鮮なデザイン」「ユニークで柔らかなフォルム」と世界から称讃を受けたイタリア・カッシーナの「WINKチェアー」、パリやドイツでも最上級の評価を受けたシャープの液晶テレビ「AQUOS」など数多くのベストセラーデザインを次々に生み出す世界のKITA。イタリアから世界を、そして日本を眺める目線はあたたかくて厳しい。


WINK CHAIR(1980)
1980年、イタリア・カッシーナ社より発表され、今日までロングセラーが続くチェア。身体をすっぽりと包んでくれるような形がユニーク。サイドのノブで背の角度が自由に変えられ、折り込まれた脚を前方に引き出すとアームチェアからシューズロング(寝椅子)に用途が変えられる。また、左右のヘッド部分も自由に動かせる。カラーバリエーションが豊富で、ヘッド、ボディ、フットにはそれぞれにカバーの色が選べる。一色で統一するのも、パーツで色を変えるのも自由自在

____世界を舞台に活躍される喜多さんが同時に日本の伝統工芸にも目を向けられたのは?

イタリアに行く前から自分のアイデンティティーのひとつとして興味を持っていました。イタリアへ行く前にメキシコシティに行って、民族博物館でインディオの展示を見て、「ああ、日本もインディオのような道をたどるのだな」と思ったんです。彼らの文化はなくなっているが、日本の文化は職人や作家が作り出す伝統工芸の中にまだ息づいている。そこで伝統工芸の復興や育成に何らかの形でかかわっていたいと思い、それ以降、ずっと自分のライフワークにしています。なくすのはもったいない文化ですから。


____喜多さんのデザインからは、伝統工芸とは反対の方向、近未来的な印象を受けますが?

好きなんです、近未来的なものが。「TWO POINTS WATCH」を例に挙げると、ジャンボジェットが生まれたことで誰もがヨーロッパと日本を気軽に行き来できるようなり、僕も年じゅうイタリアと日本を往復することになったのでこういう時計が誕生したのです。つまりイタリアの時間と日本の時間を同時に知る必要性があったわけです。飛行機とか電話とかインターネットとか具現化したから正当化できるようになった時計ですね。「近未来」と言うか、「ちょっと未来」ですね。


____アイデアは普段の生活から飛び出してくるものなのですか?

そうですね、普段のものです。僕はよく「近未来」の、と言いますが、すでに僕らは未来に頭を突っ込んでいる。「未来人として何をしないといけないのか」という疑問を常に自分に問いかけているのかもしれない。そのために過去の人たちの偉業にふれる。これも「ちょっと未来」のために、ね。

では、どうして伝統工芸が廃れるとまずいのかといえば、そこに大きな問題があるから。ここ30年くらい和紙やら漆など伝統工芸は衰退しているが、実は伝統工芸の衰退ではなく、これは日本人の日常生活の衰退だと思うのです。伝統工芸でいいものを作ったのに使われない。コンビニのパックを重宝するというような現象を見るにつけ、ハイセンスを輸出し、ハイセンスに囲まれなければいけないはずの日本の未来が心配になる。そこに着目したのです。

かつて輸出立国だった日本が今、からっぽになろうとしている。そこで「世界に何を発信しながら、日本という国を営んでいくのか、そして栄えさせていくのか」という問題にぶつかっているわけです。日本はハイテクが得意な国だから、ハイテクならなんとか通用しそうな気がする。でも、ハイテクは機械を導入し、努力をしたらどこの国でもできる。ハイセンス、これはもしかしたら通用するかもしれない。「ハイテク&ハイセンス」というのは次のカードとしてあるものだけど、ハイセンスを維持するには日常の暮らしをセンスアップしておくことが必須。ですから、次に「自分たちが日常の暮らしをどう高めていくのか」という問題に日本はぶつかっているわけです。

抜きん出たデザインを日本から世界へ発信しなければならない。そうしないと、日本の明日はない。もう残っていないんです、カードは。日本ではデザインとクリエーションは産業の1番のキーワードです。いや、1番のキーワードになってしまったのです。今までは商社がやってくれると思っていたのが、そうじゃなくて「クリエイターとデザイナーが主役になってやってくれ」と言われているのが、今日の日本の産業界なのです。


____突然4番バッターに指名されたデザイナーやクリエイターの経験や資質、育った環境などが問われているわけですね?

そうそう。いい花を咲かせようと思うと、いい茎といい葉っぱといい根っこといい土壌が必要。そうした時に今の日本の住環境とか、街の環境の中でいい花が咲くのかしら、という一抹の不安がある。だけど江戸時代の元禄文化などセンスのいい時代もあった。浮世絵とか歌舞伎とかテキスタイルとか。といってそのまま江戸時代のものを持っていくのでなくて、物の考え方を持っていく。例えば粋(いき)という考えを再生できるかもしれない。ジャパネスクが求められているのでなく、そこにひそんでいる自然らしさ、人間らしさ、調和したものが求められている。海外の人が体験してこなかったものですね。日本らしさは身体に任せるのがいいんです。自分の身体から自然に滲み出てくる日本らしさ。例えばスーパーコンピュータにプラスアルファのハイセンスを入れたら楽しい日常の道具が生まれるかもしれないし、電話機ひとつ取ってみてもオモチャのようにするのではなくて、世界の人たちが自慢できるようなものを創り出すことができるかもしれない。日本の企業がそういうことを創造していかなければならない。そういう時代に突然、放り込まれてしまったわけです。


____それで日本の企業も喜多さんに、例えば「こんなテレビを作りたい」と依頼するわけですね?

液晶テレビAQUOS(2001)
直線と曲線が描く本体のシルエットや一本足のテーブルスタンド、スピーカー部分など随所に斬新なデザインが光る大ヒット液晶テレビ。デジタル家電の未来とインテリアの融合を方向づけた記念碑的作品。海外での評価も高い。2001年、ハンブルグ美術工芸博物館とバイエルン州立応用工芸博物館のパーマネントコレクションに選定される

僕は「AQUOS(アクオス)」のデザインを担当する時に、企業のためにやらなければいけないという思いと同時に日本の産業のために何かやらなければならない、と直感した。日本のテクノロジーをもって世界に発信する時にパチッとした何かが必要なんじゃないか、と。次の日本の産業を展開するために何かキーワードが必要だと感じました。


____何か必要なものとは、「機能とデザイン」プラス何か、ですか?

機能とセンスですね。デザインと言うといろんな意味で取られますが、デザインとは調和のこと、ハーモニーです。いいデザインとは使いやすいし、きれいだし、安全だし、価格もまあまあである。そのバランスが取れていないと成立しない。いい商品だけど、値段が高いから買えない。買えないということは結果として企業が困る。アートと違いますから。デザインとはそういうことを含めた調和なのです。エンジニアもハイテクも含めてこれからクリエイターが主役になる。企業も消費者も喜び、人に夢を与えられる仕事。デザイナーやクリエイターは花咲か爺さん、花咲か婆さんみたいなものです。灰をふったら花が咲く。そういう仕事です。


____ハイテクに向かっているようで、アナログも重視されていますね?

TWO POINTS WATCH(1991)
1998年、フランス・サンティ・エティエンヌ近代美術館パーマネントコレクションに選定され、後にミラノにて世界に向けて発表された、同時に二ヶ国の時間がわかる時計。企画・製造は福井県鯖江市の水島眼鏡。色の異なる大小の文字盤を楕円でつないだデザインが特徴。1997年、通産省選定グッドデザイン中小企業庁長官賞受賞

デジタルだけでデザインするのでなく、アナログのコラボレーションにこそデザイナーのフィルターとしての役割がある。昔の夢の世界が現実化しているのが今日。薄いディスプレイにきれいな映像が映るなんて10年前には思いもよらなかった。だから僕らはもう未来人です。未来人として過去を見てみたら「地球の病気が進んでいる」という意識も持てる。でも、自分では解決できないと思うから、他人とコミュニケーションする。メールでコミュニケーションというが、それは会話でなく通信。アナログですが、会って話しをすることがここに来て重要になってきた。実は両方必要なのです。時空を超えてコンピュータでやりとりすることもできるが、基本は会って話しをすること。日本はもう一度、日常の暮らしぶりに戻ってから世界レベルの話をしないといけない。ローテクかもしれないが、当たり前のことに戻る。これは未来に対しての準備でしょうね。最近、僕は物に魂を入れられたらいいなと思っているのです。日本の昔の職人たちは物を作りながら自分の気を入れていたのではないかと考えています。工業となった今でもそういうことができるんじゃないか、と。そして自分のデザインには少し小さな心臓を持たせて、メッセージをこめてきた。気とか魂とか、日本の物づくりの人たちがやっていたことが、自分の中にもあることがわかってきた気がしています。


____そういえば喜多さんはパスタ専用の鍋まで作っていらっしゃる?

 あれは世界に先駆けて私がやったんです。あれがイタリアに渡って、ある会社がそのコンセプトで作ったんです。日本生まれだけど、ヒットはイタリア。最初はメイド・イン・ジャパンだったんですが、日本のメーカーは世界に発信できなかった。だから世界に発信するメーカーに販売の権利を取られてしまった。日本はこれから大手企業だけでなく、従業員10人くらいの小さな企業も自分から世界へ発信する時代なんです。小さな企業もアメリカや中国へ行って仕事する時代になったんです。


Aki/Biki/Canta(1996)
1996年、イタリア・カッシーナ社より発表。低い座高、丸い座面、大きな背もたれと目にも鮮やかなカラーが新鮮なチェア。CANTAはアーム部を持ち上げるとヘッドレストにもなる。この作品は「高齢者にとって使いやすい椅子とは」というテーマに対する喜多さんの明快な解答である。CANTAはフランス・サンティ・エティエンヌ近代美術館パーマネントコレクションに選定

____では、最後に私たちがクリエイティブに暮らす方法とは何でしょうか?

根元は人と人とのコミュニケーション。これがないとクリエーションはできません。日本人はコミュニケーションが決定的に足りない。イタリア人なんかよくしゃべりますよ、近所の人同士でもなんでも。イタリアでは木の葉っぱのことや空の色の話をよくしますね、自然に。日本ではそういった話がないということが、ずいぶん前から気になっていた。日本は急いだばかりに当たり前のことが擦り切れてしまったんでしょうね。バランスをなくしたんですよ。だから日常の暮らしぶりにもう一度戻ってから世界レベルの話をしないと、しっかりした土壌がないといい花が咲かないと思いますね。

そう、コミュニケーション。これが日本の次のキーワードですね。そして100年、200年単位で、ちょっと背伸びして後ろを振り返って、ちょっと背伸びして未来を見る、現代はそういう時代です。未来と過去はつながっていて、過去の中に未来のアイデアがつまっている。

「ちょっと未来」のために、過去や自分の生活ぶりを眺めてみる。そして普段のコミュニケーションを豊かにしておく。日本は亜熱帯で、四季折々の豊かな自然環境の中で育ったという意識は必要ですし、意識しなくても備わっています。これはひとつの武器ですね。自信を持って世界へ出ていってほしい。大変を大変と思って下を向くのでなく、背中に羽根をつけてパーっと飛び回るほうがいいのかもしれませんね。大切なことは羽ばたき直すことですね。意識に羽根を生やしてどこへでも飛んでいけるようにしないとね。


 デザインとは調和、ハーモニーであるとか、私たちに必要なものが普段のコミュニケーションであることなど、わかりやすくご説明くださり、本日はどうもありがとうございました。

text by:倉田 楽




喜多俊之さんより、サイン入り作品集をいただきました。
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