たった一度の人生、オレは本当にこれでよかったのか。
こんなシアワセをオレは求めていたのか。
いつかやってくるその問いがこわかった。
だから逃げた、逃げ出した。
我が身ひとつで逃げ出した。

4月1日 太平洋上空にて

(『流学日記』より)


2000年4月1日、二十歳の若者がひとり、成田から旅立った。
大学を休学した彼の、アジア、アフリカ、オセアニアを巡る1年間の旅の始まりだ。
彼はこの旅を「流学」と名づけた。
台湾で地震に被災したおばあさんの手を握り、カシミールの村に水を引き、ウガンダでヤギを殺して食べ、女の子を追って地球を半周する。
その果てに出会ったのは、一人の自分。
――彼はその経験を綴った1冊の本を、自費出版した。
お世話になった世界に恩返しをする目標をもって。
インターネットやクチコミで評判となっているこの本の著者、岩本悠さんに、流学の体験とこれからについて、語ってもらった。





 何の役にもたたない自分が今やるべきこと。それはきっと、石を運んで汗をかいて、それで何かやったような気になることじゃないはずだ。それはきっと、この<現実>にぶつかって、今の自分を壊しながら成長していくことだ。そうだ、これは学びの旅、流学なんだ。

(『流学日記』より)


■プロフィール■


岩本 悠(いわもと ゆう)さん

1979年9月25日人形劇団の長男として東京に生まれる。大学を休学して2000年から1年間、アジア・アフリカ・オセアニアを流学し、20カ国でNGOや国連などの開発援助活動に従事。帰国後、アフガン難民の教育支援活動に携わり、モンゴルで椎名誠さんと教育ドキュメンタリー番組を制作。2002年、シドニーへ1年間留学。夜間社会人大学に潜り成人教育を学びながら、昼はSONY、トヨタの人事・人材開発部でインターン。週末は現地小学校等6校で講師を勤め、キャリアカウンセラーとしても活動する。2003年帰国後、学生リーダー塾を創設。小・中・高・大学で「教えない教育」をモットーにした授業を実践し、一般向けの講座も行う。10月『流学日記』を自費出版。12月、その売り上げでアフガニスタンに学校をつくる活動を中心とした『ゲンキ地球NET』を立ち上げる。2004年春、幼稚園、小・中・高校の教員免許を取得して大学卒業。この春、一サラリーマンとして再出発をする。

このまま大学生活を続け、それなりの仕事について温かい家庭をもち、老後は趣味に費やし死んでいく。そんな<シアワセな将来>を思い描くと不安になった。著書の中で、そう岩本さんは書いている。「何かやらなきゃっていう焦燥感があって、何もやってないのが腹立たしくてこわくて、常に何かを探してた」。もっと違う<何か>があるかもしれない。その<何か>を探すために、流学に出た。

そうやってバックパッカーの一人となった岩本さんだが、彼の目的は<お客さん>としての観光ではなく、現地で何かを体験することにあった。だから行く先々で、ボランティアをしていった。現地に着いたらまず大使館へ行き、NGOの情報を調べる。興味のあるところに電話して、やらせてもらう。寝る場所や食べ物をもらえることも多く、わずかな費用で1年間を過ごせたという。<学生>という肩書きが勉強するのに最高に役立つことも、思い知った。アフリカでは「日本から来てる大学生です」と面会を申し込んで、二人の大使からアドバイスをもらうことにも成功している。

生死がなまなましく混在するインドの街。<時間>という概念のないアフリカ。究極の自由を体感したキリマンジャロ登山。新しいものにふれては、今までの自分が壊れる。そこから何かをつかんで言語化し自分のものにする。日々その連続だった。「以前と比べてここが変わったというより、僕自身が生まれ変わったような気がする。インドに最初に行ったとき何が正しいのかわからなくて、自分って何だろう、世界って本当にあるんだろうかって考え始めた。それまで日本の文化の中で積み重ねられてきた概念が壊れて、じゃあ自分にとって本当に必要なのは何だろうって。うまく表現できないけど、概念や言葉をひとつひとつ手に入れて、それが今の自分のパーツになったという感じです」。自分が何者かを問い続けた旅を終えて、岩本さんは日本に帰る。


 オレが文科大臣になったら国語の教科書に「『恥ずかしいからできない』という表現は『間違った日本語』です」と載せることにしよう。(中略)そして「未知のモノに挑むとき『こわい』と感じるのは生物として自然な反応です。その反応を受け止めた上で、自分の意志しだいで自分の行動を選択できること。それこそが、人間のもつ最大の自由です」って、本当の自由を教える教育をしよう。

(『流学日記』より)

帰国後、ノートに書きためたことをもとに『流学日記』をまとめた。「自分の決意が人の目に触れれば触れるだけ、自分の言葉から逃げ道を失う。そうやって自分の一生を方向づけた」のだという。原稿を出版社二十数社に持ち込んだが、却下の連続だった。結局200万円を借金して2,000部を印刷し、昨年10月に自費出版。まず知り合いが買い、読んで気に入った人たちがさらにまとめて買い、友人にあげて、というように広がり2週間で売り切れた。現在インターネットを使ったクチコミで広がり、1万部を突破。あちこちで講演を頼まれるようにもなった。収益は、アフガニスタンに学校をつくる活動に充てている。

「流学の体験があったおかげで書けたものだから、恩返ししたい気持ちがあって。出版費用は自分への投資ということで、働いて返せばいい。でもこの本の収益はお世話になってきた世界に還元していきたい」と岩本さん。「アフガニスタンっていうのは、ロシアとイギリスのグレートゲームに始まり、ソ連やアメリカの介入など、外の状況に翻弄され続けてきた象徴的な場所。そんな国が自分たちの手で、自分たちの幸せを手に入れていくためには、やはり教育が重要と思う。現地の就学率は約30%。学校はあっても建物がないケースも多いんです。カンカン照りの太陽に当たらずに座ってられて、冬でも寒さをしのげるような場所があったらいいと思って。費用は250万円程度を予定。水洗トイレつきとか、40年もつような鉄筋となれば別ですけどね。企業の社長さんが100冊買ってくれたり、応援してくれてる方もいます」。

こう書くと極めて順調に進んできたようだが、誰かのお膳立てがあってのことではない。岩本さんの行動の根底にあるのは「根拠もビジョンもないけど、帰国後の人生はすごくよくなるだろう、僕は幸せになる方法を知ってるって感じてた」というポジティブな確信と、「10当たれば1つはひっかかる。2つ3つ断られるのは当然」とやりたいことに突き進むエネルギーだ。しかし「やりたいことがわからない」のがそもそもの問題という人が、実際にはとても多い。進路について迷う若者に対して、『流学日記』には「それって考えてるんじゃなくて悩んでるだけじゃん」とある。その章には、「胸をグサッと刺された」「読んで倒れそうになった」という感想がたくさん寄せられたという。


 歴史の中で氏族→部族→国家、と広がってきた人間のアイデンティティーの次の次元は、まちがいなく<人類>でしょう。だから僕は<日本人>を卒業します。(中略)<日本>のためになっても<人類>のためにならないことはもう「ノー・サンキュー」です。これからは、「それが人類にとっていいことなのか悪いことなのか」それが僕にとっての善悪の基準です。

(『流学日記』より)


書籍『流学日記』
文芸社 880円+税
「現代の悩まぬ学生が放つ、マジメな哲学書」(帯より)『流学日記』ウェブサイトのほか、紀伊國屋書店などで発売中。

※『流学日記』を10名の方にプレゼントします。こちらからお申込み下さい。

web『流学日記』

http://ryu-gaku.travel.to

『流学日記』や近況などのテキストはもちろん、画像もふんだん。本に寄せられた感想なども読める。

『ゲンキ地球NET』 http://genkidama.com/
大学生を中心としたボランティアネットワーク。ズラリ並ぶスタッフの顔写真から、元気が伝わってくる。 『アフガニスタン学び場づくりプロジェクト』スポンサー制度 『流学日記』を10冊以上購入、あるいは8400円以上の寄付をするとスポンサーとなる。完成予定の「学び場」に送る記念碑と、「学び場」を作ったあと出版予定の本『こうして僕らは学校をつくった(仮)』に、名前が入る(希望者)。

この『アフガニスタン学び場づくりプロジェクト』を核に、ボランティアネットワーク『ゲンキ地球NET』を立ち上げた。一人一人の元気が地球を元気にするこの活動に、「Piece to Peace」というスローガンをつけた。「別々な一部=pieceが組み合わさって、一つのものができることが大事。あと、最近はリサイタルの収益を回すとか、それぞれがつくったもので協力する形になってきたので、アート作品=pieceという意味もあります。Peaceの方は、今までの平和が、絶対的な力によるコントロールの中での秩序や安全性を言ってたとすれば、これからの平和はそれぞれが共存して、その関係性の調和がとれてること。どっちが正義だとかじゃなくて多様なものを認めていくセンスだと思います」。

『流学日記』には「何かやろうと思った」と触発される人が多く、実際に海外に行く人も少なくない。しかしそれは一部の話で、その心に燃えた火を何かの行動に移さなければいつもの生活に戻ってしまうこと、そして結果が見えなければ次の行動が生まれにくいことを、岩本さんは知っている。10冊購入のスポンサー制をつくったのはそのため。また、学校ができたら学生を派遣してアートセラピーのワークショップを行ったり、子どもたちの様子をインターネット配信したいと考えている。さらに学校づくりの過程をみんなで本にまとめ、出版する予定だ。参加する人が学び合える場となることに、岩本さんのこだわりはある。

若者に限らず、国際情勢に対して無関心な人が多いのはなぜだろう.。「自分は世界に影響力をもてないっていう無力感を感じているのかもしれない。おかしいと思いながら何もできない矛盾に陥らないために、目に見える範囲以外のことは、あえて見ないというか。僕自身、流学する前は、新聞とか見ても何とも思わなかったですよ。それが帰国後は、ニュースを見て怒りや涙がわいてくる。自分の世界が地球の面に広がったんですね。このプロジェクトに関わる人も、アフガンの記事があれば確実に目に入るようになるでしょう。僕らは本当に普通の学生ばかりのアマチュアだけど、それでいいと思ってます。本気でやりたい人は、本格的なNGOに行けばいい。僕らの存在価値は、いかに素敵な国際貢献をするかじゃなくて、“自分はそんないい人じゃないし、支援活動なんて興味ありませんでした”っていう人たちが何かを始めるきっかけになることにある。まず自分がやって楽しいことが大事で、それが結果として人のためになったらハッピー」。

そんな『ゲンキ地球NET』のベースにあるのも、共存の発想だ。「組織が所属するという感覚だとすると、ネットワークっていうのはつながり。“組織か個人か”という枠組みを超えて、第三の道みたいな使い方ができますね。『ゲンキ地球NET』もネットメンバーが130人いて、地方で何かやろうという動きも出ている。インターネットの掲示板から常に他の人の会話が入ってくることが、仲間をつなぐ一体感になってます」。


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この春、岩本さんは、ある企業に就職し社員教育に従事する。やや意外な気もするが、そこには考えぬかれた理由があった。「なるべく多くの人に言葉を発していくために、一度は同じ土俵にのったほうがいいかなと。“それって岩本くんだからできるんだよね”っていう風になったら、声が届かなくなると思うんですよ。でも“サラリーマンとしてもこういうことができる。つらいけど会社勤めってこういう可能性あるじゃん”と言えれば、同じ発言でも重みが違うんじゃないかなと。独立することはいつでもできるし、今やる必要はないと思った」。また、一人の力の限界も痛感したという。「24時間フラフラになるまでやっても、これしかできないのかって。その時、最大限に貢献したいなら組織を使ったほうが効率いいって思った。世界的な企業で何か一つ成功例をつくれば、他の企業も真似するだろうし。僕は、いずれは途上国で教育者の育成をやりたいんですけど、企業での実績があれば説得力も増しますよね。それで勉強させてもらおうと思ったんです」。

そしてまた、数人で一軒家をシェアする新しい生活を始める。「人って一人ではなかなか生きていけないから、自分の持ち味を活かしながら共にして生きていけばいい。これからのキーワードって“シェア”だと思うんで。人の幸せが自分の幸せっていう、win-winの関係が増えていけば、みんながもっとハッピーになれるんじゃないかな」。

「いやー岩本君が将来どうなるか楽しみだなー」って先生も前に言ってましたよね。ぜひ楽しみにしててください。なんせ僕の将来を一番楽しみにしてるのはこの僕自身ですからね。乞うご期待です。

(『流学日記』より)

Text:JUNCO




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