北朝鮮では餓死する人がいて、イラク人は射殺されたりするけど、 日本では自分が自分に殺されてしまう。 いったいどっちが正しいんだろうかと思いました。

雨宮処凛 / あまみや かりん
作家
1975年北海道生まれ。「ミニスカ右翼」の異名を取り、某新右翼団体の闘士として、街宣(街頭演説)活動や右翼バンドのヴォーカル、執筆活動を行う。2000年、土屋豊監督のドキュメント映画『新しい神様』に主演。現在は右翼団体を脱退し、執筆を中心とした活動を続けている。主な著作に『生き地獄天国』『自殺のコスト』『アトピーの女王』(すべて太田出版・刊)、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎・刊)、『EXIT』(新潮社・刊)など。最新刊として、3月17日講談社より『戦場へ行こう!〜雨宮処凛流・地球の歩き方〜』を刊行。また、土屋豊監督の新作『PEEP"TV"SHOW』では共同脚本家として名を連ねている。ちなみに、雨宮さんはMACユーザーで、iBookを愛用。

「リストカッター」「右翼団体の活動家」「パンクバンドのヴォーカル」「ドキュメント映画の主役」「北朝鮮やイラクへの訪問」などを経て、今は作家として注目を浴びる雨宮処凛さん。ある意味、過激に見える雨宮さんの活動の原動力は「自分探し」だった。しかしそれは、ただの「自分探し」ではなく、平和ボケで、ぬるい日常が続く日本という国に、風穴を開けるほどのスケールの大きさを予感させてくれた。

場所は新宿・歌舞伎町。雨宮処凛さんとお会いした。金髪。「ゴスロリ」(※1)と呼ばれるコスチューム。背中には熊のぬいぐるみ。雑多で無国籍な歌舞伎町を歩いていても、ひときわ目をひくビジュアルだ。

「十代の頃、ビジュアル系バンドの追っかけをしていたんですが、周りにゴスロリの人たちがいたんです。すごく着たかったんですけど、買うと高いものでしたし、まだ理性もあった(笑)。右翼団体に所属していた頃は、特攻服ばかり着てたし、その反動で、すごく女の子らしい格好がしたくて、こうなりました」

そう話す雨宮さん。しかし彼女の経歴は服装以上のインパクトだ。バンドの追っかけをしながら、アイデンティティー・クライシス(※2)に悩み、リストカットなどの自殺未遂を繰り返す十代を過ごし、96年、民族主義に目覚め、右翼団体の闘士として活動。そして「維新赤誠塾」という右翼パンクバンドを結成。ヴォーカルを務める。土屋豊監督(※3)のドキュメント映画『新しい神様』の主役にもなり、メディアがこぞって雨宮さんを「ミニスカ右翼」として取り上げたのも、この頃だ。

「右翼団体の人が、とにかく日本の社会は、生きづらいのは当たり前だと言うんです。なぜかというと、日本人は、精神的なものを忘れて、消費活動のみに突っ走っているからだと。それって結構、当時アイデンティティー・クライシスに悩んでいた私にはガーンと来ましたね。だから右翼団体に入って、私は全然リストカットをしなくなったんです。それどころではないというか、もう怖いもの知らずで、ひたすら反米を主張していましたね。それで、街宣活動をしているときに、ただの特攻服だと誰も見てくれないんですけど、その頃キャバクラのバイトもしていたので、ミニスカートで演説をすると、道を歩く人がみんな私を見てくれるんですよ(笑)。それまで注目されたことがなかったし、自分の主張を聞いてもらいたかったというのがあったので『ミニスカ右翼』と名乗ったんです」

しかし、雨宮さんは98年、右翼団体を脱退する。それは右翼団体の思想に依存する自分に対して危機感が生じたからだった。

「あまりに依存すると、思考停止になってしまうから、そういう自分がまずいと思ったので右翼をやめたんです。また、パンクバンドで歌っていた歌詞は全部右翼思想の内容だったので、バンドを続けると自分の思っていることと違うことを言っちゃうわけですよね。だから、言いたいことはあるけど、バンドという形じゃなくてもいいのかな、と思い、バンド活動もやめました」

日本と正反対の価値観を持つ国々

右翼団体を脱退した頃と前後して、雨宮さんは北朝鮮とイラクをかなりの頻度で訪問するようになる。それは今の日本と正反対の国を見たかったからだと話す。

「日本とは全く異なる臨戦態勢の国に行ったらどうなるんだろうという興味があったので、北朝鮮とイラクに行きました。日本という国に住んでいると、不況とは言っても食べるものはある。どうしようもないわけではない。でもそのぬるい平和に違和感があり、何となく生きづらいという気持ちがあるので、リストカットをしたりする人がいるんだと思います。それに反して、北朝鮮の人たちは『我が国では自殺する人はひとりもいません』って、ほんとに真顔で言いますからね。その代わり餓死してる人がいるんですけど(笑)。また、イラクは日本と比べても、リストカットをしている人は全然少ないだろうし、いたとしてもほとんど社会的に問題にならないだろうと思います。

私の知り合いが去年イラクに行ったんです。その子は自傷している男の子なんですけど、滞在している間に、ものすごい数のイラク人の死に立ち会うわけじゃないですか。それで、発狂しそうになって日本に帰って来たら、自傷していた友達が三人ぐらい死んでたんですね。北朝鮮では餓死する人がいて、イラク人は射殺されたりするけど、日本では自分が自分に殺されてしまう。いったいどっちが正しいんだろうかと思いました」

CHRONICLE
  1. 『EXIT』

    新潮社 1300円(税別)

  2. 『悪の枢軸を訪ねて』

    幻冬舎 1400円(税別)

  3. 『自殺のコスト』

    太田出版 1200円(税別)

  4. 『生き地獄天国』

    太田出版 1300円(税別)

思考停止になることへの危機感

日本から一番遠い価値観を持つ国、北朝鮮とイラクは、雨宮さんの目にどう映ったのだろうか。

「当時、私が行ったイラク(※4)も北朝鮮も、どちらも独裁国家じゃないですか。絶対自国の悪口は言えないという環境はつらいと思います。だから、悪口が言える自由のある日本は、ある意味素晴らしいと思えましたね。ただ、果たして日本人は、本当に自由を欲しがっているんだろうか、と思うところもあるんです。逆に強制されているとすごく楽ですよね。北朝鮮にいれば、ある種の思考停止というか、考えずにすむ幸せがあるというか。アイデンティティー・クライシスに悩むことはないと思うんです」

独裁国家の中で、同じ価値観を押しつけられて生きることは、ある意味、楽である。しかし、雨宮さんはそのような生き方から逃れようとしている。かつての彼女も右翼団体に依存し、思考停止状態になった苦い経験があったからこそ、言えることなのだろう。

「北朝鮮で、すごく素直に『主席マンセー』と叫んだり、イラクで『サダム万歳』と言う人たちは、楽でいいなと思うんですけど、自分はその中には入りたくない」

リストカットのその先の出口

平和ボケで、ぬるい日常が続く日本。雨宮さんは、そんな状況に違和感を覚え、リストカットを繰り返す少女たちを題材にした小説『EXIT』(※5)を発表した。

「私の周りに自傷する人が多いせいもあって、自傷系サイトというものに非常に興味があったんです。リストカットをする人たちの中で、本当に死にたい人はむしろ少数で、「こんなにつらい自分をわかってほしい」という意識の強い人が多いと思います。そういった人たちが集まるサイトの掲示板を見ると、今日どれだけ切ったとか、どれだけ薬を飲んだとかを書いたり読んだりするうちに、参加者がどんどん過激になる傾向があるんです。それを何ヶ月も続けていると、ぽろっとその中で誰かが死んじゃったりする。すると掲示板に「●●さんが死にました」っていうことが書かれるんですね。リストカットしている当人たちはすごくつらくて、その気持ちをネットの掲示板で分かち合えるので、自傷系サイトは良い部分もあるんですけど、歯止めがきかなくなって、自分の方がつらいんだという不幸自慢になっていくこともあるんです。そして死ぬ人が出てくる。

私もリストカットをしていることをカミングアウトして、自傷系のイベントに出たりしたんです。そうなると、リストカットしている私のところに来てくれる人たちは、私がリストカットをやめたら怒るんです。自傷していないあなたには価値がないみたいな。そういう変な関係性がありました」

そうした特殊な関係性の中で、死んでいく若者がいるのはなぜなのだろう。雨宮さんは、その謎を解明すべく「EXIT=出口」をこの小説の中で模索したと話す。

「出口を探したいと思って書いたんですけど、結局「ない」という結論にたどりつきました。でも出口がないということに気づくことが出口という気がするんです。実はこの小説を書くときに、精神科のお医者さんに取材したんですが、その方が言うには、自傷を治そうと思うと、余計につらくなるらしいんです。だけど結局自傷は治らないんだ、と思った瞬間、楽になることが結構あったらしいです。だから「出口」がないことを認めれば、楽になれるかなと思っていますけどね。救いはないかもしれませんが」

自分探しはショボい、と思うこと

雨宮さんの話すとおり、この日本は出口のない状況にあるかもしれない。そんな状況の中で、雨宮さん自身は、極端ではあるが、非常にアグレッシブな活動を続けている。なぜアイデンティティー・クライシスに悩み、リストカットをしていた過去を乗り越えることができたのか。そして、自分を見失わないように活動するための秘訣を聞いてみた。

「右翼団体にいたときは、生きづらいのはアメリカのせいにしていました。また、生きづらいから、日本とは正反対の国の北朝鮮やイラクに行ったんですね。さらに、リストカットをする少女たちを通して、なんとなく生きづらい空気を描いたのが『EXIT』です。すごく節操のないように見えますが、自分の中では一貫していることなんです。つまり、この国で生きづらいということは、どういうことなのかを絶えず考えるようにしているんです。それをテーマにして小説を書くと、ある程度その問題意識は解消されますし、かなりすっきりするんです。だから、今は小説を書いているときがいちばん自分を感じますね。あと、イラクに行ってるときは、もう生きている実感120%ぐらいな感じですね。イラクの人たちって明るくて、すごくテンションが高いんです。物はないし、人はすごく死んでるんですけど、その分生命力がある」

雨宮処凛公式ホームページ

http://www3.tokai.or.jp/amamiya/

イラクに行く自分に満足すると話す雨宮さん。その気持ちを表現するのに、「自分萌え」(※6)という言葉を使った。

「まあ「自分萌え」でしかないんですよ。イラクに行ってる自分に萌えるという(笑)。いわゆる「自分探し」ってショボいじゃないですか(笑)。いい意味の文脈で書かれることは少ないですしね。でも私は自分探しをしてることには変わりはないので。ごまかしたくはないんですが、どうせ自分探しをするのなら、右翼団体に所属したり、北朝鮮やイラクに行こうと思うんです。あまり小さな自分探しはしたくないというか。今は言ってしまえば、書くことに依存しています(笑)。そういう意味ではあんまり変わらない。依存対象がちょっと生産的になったかなとは思いますけど」

雨宮さんが依存する『書く』ということ。これはおそらく彼女が次の段階に進んだことを示しているのだろう。この日本という国は、出口はないかもしれない。しかし、現実を踏まえ、新たな世界へステップアップするためのヒントは必ず、雨宮さんの活動や著作から見い出せるのではないだろうか。


Text by:南千住太郎



語彙集


写真:『PEEP"TV"SHOW』より


■ゴスロリ(※1):ゴシック・ロリータの略。19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパで、『吸血鬼ドラキュラ』などの怪奇小説のイメージから生まれたグロテスクで神秘的なスタイルやファッションを「ゴシック」と呼ぶが、それに少女趣味的な「メイド的ファッション」が加わり、日本で独自の進化を遂げたもの。明確な定義はなく、着る人によってコスチュームの色やアクセサリーは異なるようだ。雨宮さんは、「ゴスロリを着る人は周りに対して違和感を表明したい、そのための軍服みたいな感覚を持っているのではないか」と『スタジオボイス』2003年1月号で発言している。 

■アイデンティティー・クライシス(※2):自分が何者であるかの確信が得られず、精神的な危機的状況に陥ること。

■土屋豊(※3):1966年生まれ。映像作家。94年から複製フリーのビデオ作品『WITHOUT TELEVISION』を発表。98年には自主ビデオの流通プロジェクト「ビデオアクト」を主宰。主要作品に『Identity ?』(93年)『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』(96年)『新しい神様』(99年)などがある。最新作の『PEEP"TV"SHOW』は、盗撮魔・長谷川と、ゴスロリ少女・萌との間に起こった、2002年8月15日から9月11日までの出来事を描く長編劇映画。この作品はロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。一般公開が待たれる。

■当時、私が行ったイラク(※4):雨宮さんがイラクを訪問したのは、1999年の9月から10月。フセイン政権が倒れる前のことである。雨宮さんはイラクに国賓として招かれ、フセイン大統領の長男・ウダイ氏と会見している。その様子は著書『悪の枢軸を訪ねて』に詳しい。

■『EXIT』(※5):「新潮ケータイ文庫」でアクセス数ナンバーワンになった小説の単行本化。自傷系サイトをめぐる少女たちの孤独と狂気を描く話題作。

■「自分萌え」(※6):「萌え」という言葉は、主にアニメやゲームなどの二次元キャラクターに入れ込んで、恍惚感に浸る状態を指す。「自分萌え」とは、自己の行動に強い満足感を得て、その状態に酔う感じに近いと思われる。



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