今、この日本でアフリカのエイズ問題に関心のある人はどれだけいるのだろうか。
それこそイラクでの戦乱より多数のエイズによる死者を出しているアフリカ。

そんななか、ボランティアとして、単身南アフリカ共和国を訪れ、
エイズホスピスの施設で活動するひとりの日本人女性がいた。

    現地での活動だけではなく、今回、日本でエイズ孤児たちの
絵や工作の展示会を主催。

日本において、少しでもアフリカのエイズ問題を
考えるきっかけになれば、とソフトに主張する彼女が語る、
アフリカのエイズ問題の現状、ボランティアの意義、
そして、自己を確立するための道のり──。

ソーシャルワーカー/小山えり子(Eriko Koyama)

1970年生まれ。上智大学文学部社会福祉学科卒。在学中に、原発反対運動や、ホームレスの問題に関心を持つ。横浜の寿町でホームレスや日雇い労働者の相談活動のボランティアや実習をおこない、卒論のテーマとする。93年、精神科ソーシャルワーカーとして、東京都立中部総合精神保健福祉センターに勤務。98年『精神障害者のためのケースマネージメント』(金剛出版)を医師らと共訳出版。98年、東京都立墨東病院医療相談室に勤務中、病欠した際に知った南アフリカ共和国のエイズホスピスに関心を持ち、現地の聖フランシスケアセンターのエイズホスピスに勤務することになる。今年3月末より帰国し、エイズ孤児の絵画写真展を主催。6月には再び南アフリカに戻る予定。

エイズ孤児のものとは思えない明るくて可愛らしい絵に惹かれた



ワニをかたどった紙工作。卵パックを彩色して作った虫。太陽や川らしきものが描かれたカラフルな水彩画。これらは4月末、都内のギャラリースペースで開催された南アフリカ共和国のエイズ孤児絵画写真展「ニバルレキレ」で展示された作品だ。「ニバルレキレ」とは南アフリカの公用語のひとつであるズールー語で、英語に訳すと「I'm special」。

「ただ日本語に訳すと難しいですね。『私は特別よ』って言うと少しニュアンスが変わっちゃいますから。これは『あなたはあなたであるだけですばらしい』というメッセージが込められているもので。だから『自信を持ちなさい』とか『あなたは祝福されているんだよ』というニュアンスも含まれていると思います」

そう話すのはこの展示会の主催者であり、ソーシャルワーカーの小山えり子さん。彼女は2003年から南アフリカのヨハネスブルグ郊外にあるエイズホスピス、聖フランシスケアセンター(※1)にボランティアとして勤務しており、この展示会を開催するために一時帰国した。

「展示会をするきっかけは、ああ、これっていろんな人が見たらいいんじゃないかな、と単純に思ったからです。例えば紛争地帯にいる子供の絵を見ると、爆弾の絵とか、悲しい印象を受けることがありますが、この施設の子供たちの絵は明るくて、すごく可愛らしく飾られていたので、ひと目で気に入ってしまったんです。孤児で、生まれながらにエイズに感染しているという。悲しい事実だけではないんですね。

でも一方では、その子供たちの絵を楽しんで見てくれる親がすでに亡くなっていたり、部屋に飾ったあとの絵はどこにも保管する場所がないから、捨ててしまうしかないという状況を院内学級の先生たちから聞きまして、非常に残念な思いをしたんです。いろんなアイディアやきっかけがないと、院内学級のアクティビティの内容もやっぱりマンネリ化しちゃうんですね。それで、どうしたら変えられるかということを院内学級の先生に持ちかけて、同時に日本で展示できるギャラリーを探したわけです」

アフリカのエイズ問題“見えない戦争”との戦い

※1 聖フランシスケアセンター : 92年、末期のエイズ患者のために、カトリックのフランシスコ会が運営を始めたホスピス施設。大人の末期患者が48人、エイズ孤児が30人収容可能。孤児たちのために院内学級も運営されている。運ばれる人の多くが、短期間のうちに亡くなることが多く、これまで毎年200人近くの人が亡くなっている。小児病棟ができたのが98年。以来214人が入院し、うち118人が亡くなっているという。現在は30人中25人がHIV陽性である。

※2 アパルトヘイト : 黒人などの有色人種を極端に差別していた南アフリカ共和国の人種隔離政策。93年に全廃。94年ネルソン・マンデラが大統領に選出されて以来、黒人層の地位向上に向けての運動が盛んになっているが、全人口の12%を占める白人層と黒人層の所得の格差は5対1と、アパルトヘイトの後遺症はまだまだ残り続けている。

※3 南アフリカの平均月収 : 黒人層の平均月収は約1500ランド。日本円に換算すると1万5000円ほど。家族4人が普通に暮らしていくためには、2500ランドは必要だと言われている。また、黒人層の失業率は40%にも及んでいる。

展示会を通して、少しでも多くの人が南アフリカのエイズ問題に関心を持ってほしいと語る小山さん。しかし、その気持ちを伝えるのは結構骨が折れるという。

「日本の場合、テレビも新聞もテーマを継続しないでどんどん情報を流して行きますよね。今はイラクのことばかりだし。だから今すごくアフリカは日本の中では忘れられているという気がするんです。エイズはもともと『見えない戦争』とか『音のない戦争』と言われていて、それこそイラクよりも毎年多くの人が死んでるんですけども、そういう現状は騒がれない」

アフリカのエイズ問題は深刻だ。特に南アフリカは、総人口約4,210万人のうちHIV感染者が約500万人。8人から9人にひとりが感染している計算になる。

「いろいろな原因があると思います。まず、アパルトヘイト(※2)の影響という部分では、南アフリカの黒人たちは、高い収入を得るような職業に就いたり、満足な教育を受ける機会を奪われていたんです。で、知識がないままに、エイズに感染したということがあると思うんですね。

あとエイズの薬にも、かなりの症状をコントロールして、発症を遅らせたりとか、延命できるようになっているものがあるんです。日本だとかなりの人が、その薬のおかげで一般の人と変わりない生活を送れるようになりつつあるんですが、その薬は非常に高価で、南アフリカの人々の平均月収(※3)の十倍以上もするんです。ですから、ほとんどの患者さんはその薬の治療が受けられない」

しかし、そんな悲惨な状況の中から、さまざまな運動が起こりつつあるようだ。

「自分がエイズであるということを公表し、政府に対して治療を求める行動を起こしている人がたくさんいますし、患者さん自身がトレーニングをちゃんと受けて、エイズカウンセリングとか訪問ケアができるような実力をつけて、地域の患者さんを支えあっているところも多いんです。政府に対する働きかけも、日本だったらシュプレヒコールをしたりとか、結構真面目なんですけど、向こうの人はそういうのも歌って踊りながらPRするんですね。それはやっぱり、アフリカ文化の豊かさなのかな、と思います」

ボランティアは黒子そう思うまでの道のり


小山さんはシビアな現実を目の当たりにしながら、2003年から2004年にかけて、エイズホスピスの活動に携わった。

「私の仕事は、院内学級の運営のお手伝い。それから小児病棟の子供のケアとホスピスの成人の介護や相談業務をしています。ただ、日本にいたら死なないような人がどんどん死んでいくんです。薬がなかったりとか、いろんなものが欠如していますから。じゃあ、私に何ができるかっていうと、もうそばに寄りそうしかない。その人が最期に、自分の人生を受け入れることができるためのお手伝いしかできない。もうすぐ亡くなるだろうなという人の場合は、亡くなる瞬間までそばにいることもあります。日本の病院みたいに心臓マッサージをしたり延命処置とかするわけでもないし、すうっとその人の命が消えていく瞬間というのがよくわかるんです。そういう意味では崇高な場所っていう感じですね。

今まで施設で友達になった人がほとんど死んでますから、そういう意味では辛いんですけど、人が生きるってどういうことだろう、とか、死ぬってどういうことだろうっていう部分を、直接、皮膚感覚でわかる場所だから、私は好きなんです」

小山さんのホスピスに対する考え方。それは『自分は黒子』であり、あくまでホスピスの主役はケアされる人だと話す。

「私の場合、ボランティアですから、自分がとにかく主役にならないように気をつけています。自分がいつ消えてもいいように、他に助けてくれる人を見つけるとか、患者さんが自分自身で問題を解決できるように導くことを心がけています」

小山さん自身、そこまでの境地にたどりつくまでには、かなりの年月を費やしたようだ。

「最初、私は日本で5年ほど精神科でソーシャルワーカーをしていました。患者さんのほとんどが統合失調症でした。その中で家族の助けを得られず、病院を長年退院できずにいる患者さんが、なんとか地域で暮らすためのサポートをするというのが私の仕事だったんです。患者さんの人生を丸抱えで、年単位でつきあうというのをずっとやっていたんです。すごく学ぶことも多かったんですけれども、一方では非常に重い仕事だなという感じがありました。

その次の職場は、総合病院の、主に救命センターでケアを担当していました。そこでは死の場面とか、もう治らない植物状態とか、四肢麻痺で首から下が動かなくなってしまったという状況に対して、患者さんやご家族の皆さんがその状態を受け入れられるためのケアをしていたんです。この仕事は非常に忙しくて、大変な状況に陥った患者さんの人生のほんの一部にしか自分は関わっていないという気がして、自分の無力さにすごくストレスを感じてました。

あるとき、自分の具合が悪くなったときに、鬱症状が出たんです。それで自分が患者になったという体験を踏まえて、今までの自分の生き方を考え直したときに、ひとりひとりの患者さんときちんと向き合うソーシャルワーカーの原点を、もう一度体験したいと思い、いろんな問題があふれているアフリカに行きたいと思ったんです」

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この「ニバルレキレ」では、子供たちの作品のほか、写真家、ビクター・マトムさんが施設の子供たちの日常を撮ったパネルも展示されている。ビクターさんは1959年、南アフリカ生まれで、黒人のための写真学校で教鞭をとるかたわら、フリーのドキュメンタリー・フォトグラファーとして多くの新聞や雑誌に作品を発表している。
小山さんは6月に再び南アフリカに渡りますが、近い将来、現地の子供たちの様子や、エイズホスピスの状況がわかるようなホームページを作る予定です。そこで小山さんは、ホームページ作りを手伝っていただける方を募集しています。
興味のある方は、lcnl@linkclub-newsletter.comまでご連絡ください。

新しいことを始めるために今までの経験が土台になる

「ソーシャルワーカーというものはこうなんだな、という自分の中の確信と、自分が好きなものはなんなんだろうというのを再確認する意味では、私にとって南アフリカは素晴らしいところだったんです。

若い頃にいろんなところに飛び出して自由にやっている人ってたくさんいるじゃないですか。すごくうらやましいな、と思ったりしたんですけども、自分の場合はソーシャルワーカーとしての経験を積んで、ある程度の物指しができたところで自分をバックアップしてくれる大きな組織から離れて、個人のボランティアとして動き始めたんです。大きな組織にいる限り、やっぱり失敗があってもどんなことがあっても周りがフォローしてくれるし、間違ってれば間違ってると言ってくれますよね。でもボランティアだと自分で責任を取らなければならないから、自分の場合はちょうど良かったのかなと思うんです。

もしも、あることをやりたいけど遅いかなと思ってる人がいるとしたら、逆にその人の今までやってた部分の実績というものが、新しいことを始めるのには、絶対土台になるので、勇気を持って始めてほしいと思います」

さまざまな体験を経て、今はエイズホスピスの活動に全力を挙げる小山さん。この6月には、再び南アフリカに発つ。今度は2年間の長期滞在になるという。

「エイズホスピスのボランティアを続けながら、それとは別に、まだまだ南アフリカ政府のエイズに対しての治療や政策が整っていないので、それに働きかける運動をしているNGOのお手伝いをしようと思っています。あと、現地のエイズカウンセラーや、エイズ関係のNGOで働く人たちが事前に受けているトレーニングを受けて、自宅で療養している患者さんをケアする活動もするつもりです。

というのも、スラムで家族からも疎外されて、ゴミのように捨てられて、そこで亡くなっていく患者さんも結構いるんです。だからホスピスに運ばれてくる前のエイズの患者さんの実情をもう少しちゃんと知った上で、日本人の私に何ができるのか。そして日本にどういう情報を伝えたらよいかを考えていきたいですね」


Text by:南千住太郎




エイズとアフリカのことがよくわかるサイト
統計局・世界の統計(日本語)
http://www.stat.go.jp/data/sekai/15.htm
国連エイズ合同計画(UNAIDS)と世界保健機関(WHO)が推計した世界各国のHIV感染者数、及びエイズによる死亡者数のデータをエクセル形式かPDF形式でダウンロードできる。

アフリカ日本協議会/感染症研究会(日本語)
http://www.ajf.gr.jp/hiv_aids/index.htm
アフリカの地域自立に立ちあがる人とアフリカに関心のある人々を幅広くつなげ、それぞれの活動を強化するために設立されたNGO。アフリカの抱えている問題が実感できる。

Treatment Action Campaign(英語)
http://www.tac.org.za
アドボカシー(患者の権利擁護)運動を中心として活動するNGO。ケープタウン、ヨハネスブルグ、ダーバンに事務所をかまえ、すべてのHIV感染者が適切な治療を受けられるように、政府などに働きかけている。南アフリカではネルソン・マンデラ賞も受賞している団体。


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