テレビ、新聞、インターネットなど、多様なメディアからさまざまな報道が流れる昨今、接するメディアによって同じ出来事に対する認識が異なるということが、日常茶飯事になってきている。またウェブサイトやブログが気軽に活用できるようになり、個人にとっても情報は受け取るものだけでなく、自ら発信するものに変わってきた。これからのデジタル社会には、どんな能力が求められるのか。そのためにどんな教育が必要なのか。東京大学大学院情報学環の山内祐平さんを訪ね、情報リテラシーについてお話しいただいた。

山 内 祐 平(やまうち ゆうへい)
東京大学大学院情報学環助教授。水越伸氏らとメディア表現・学びとリテラシーに関する「MELL Project」を展開するなど、情報化社会の新しい学びの形を求めて、さまざまな実践的プロジェクトに従事している。

山内祐平研究室:http://ylab.iii.u-tokyo.ac.jp/index.html

デジタル社会に求められる三つの能力

〜図書館での“米騒動”

情報化社会に求められる能力は、リテラシーという言葉を使って語られることが多いことはご存知かと思います。リテラシーとは、もともとは読み書きの能力を指した言葉ですが、社会を生きていくのに必要な能力という意味で、メディアリテラシー、コンピュータリテラシーなど、さまざまな能力が提案されています。

デジタル社会において必要とされる能力には様々なものがあります。まず、あふれる情報の中から必要なものを探す能力。これは一般に情報リテラシーと呼ばれる、図書館情報学などで中心に研究されてきた分野です。“探してきた情報が本当か嘘か”ということだけではなく、“そもそも自分に必要な情報は何か”ということから考えて情報をとってくるのは、自分を客観視しなければなりませんし、けっこう難しいんですよ。そこを教えずに「図書館やgoogleを利用しなさい」と言っても、ほとんどの人は使えないんです。実際、高校生に情報検索をやらせると、約3分の2は目的の情報を絞り込めないとか、自分が欲しいものをキーワード化できなくて失敗します。最近の話ですけれども、小学校高学年の子たちが図書館へやってきて、係の人にただ「米なんですけど」「米のことが知りたい」と訴えるんだそうです。つまり学校で米のこういうことについて調べているので、こういうことが知りたいという風に、表現できないんですね。目的を明確に意識化し言語化するのは、容易ではないんです。だから物を探すということは、googleが進化すればやりやすいという単純なものではなくて、人間側のインテリジェンスが問われるんです。そのためのスキルや、どこにどんな情報があるという知識、さらに情報の信頼性の評価などを総合的に考えるのが、情報を探す能力です。

二つ目は、メディアリテラシーといわれる能力。これはメディアというものがどういう風につくられているかを知った上で、情報を読み解く力です。例えば雑誌などでも、1〜2時間インタビューをしても、掲載されるのはごく一部だけ。ということは情報が取捨選択されているわけで、そこには編集者の意図が入っていて、真実をそのまま反映しているわけではない。メディアとはそういうものだと理解した上で、情報を評価できる能力です。

三つ目は、情報を探す・受けるだけではなくて、自ら発信して新しいコミュニケーションを開いていく能力。単純にウェブ作成のスキルがあるとか、きれいな文書が作れるだけではなく、発信した内容を「読んで面白い」「行動を起こしたくなる」など、人や社会に影響を与えられるレベルまで高められる。いろんな人たちによる情報発信が新しい情報化社会の礎になるためには、それが自己満足的な行為で終わってしまうのではなく、社会をよくするためのコミュニケーションとして使われるようになる必要があるのです。

情報の送り手を体験する!
実例:湯けむりワークショップ

情報学環では情報リテラシー論の授業の中で、大学院生が小・中・高校・大学に出前授業を行うワークショップを行っており、成果をあげている。クリエイティブで楽しい体験を通じて、子どもたちは情報を発する側と受け取る側の意識や手法を学び、情報に対する判断力を養っていく。参加学校は、メーリングリスト等を通じて公募している。湯けむりワークショップの詳細からは、実践の楽しさが伝わってくる。
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  • 架空の事件を記者として取材するプロセスを通じて、メディアが構成されていることを学ぶ。
  • 参加者は「夕日新聞」「信濃日日新聞」「週刊ダスト」「女性ナイン」「噂の心臓」の5種類のメディアチームに分かれ、設定された読者層や発行部数に基づいて、温泉旅館「湯けむり荘」で起きた殺人事件を取材し、記事を作成する。
  • 2002年長野高校で実施。またNHK番組『子どもとメディア』の中でも行われ、その様子が全国に放送された。参加者からは、「読者が情報を判断していかなければならない時代だと思う」「ゴシップ記事は嫌いだけど、いざやってみると自分も特ダネをとりに走っていた」などの意見が出た。

世界でも稀な日本のケータイ文化

〜操作が速いことと、よいコミュニケーションができることは別

日本ほどケータイを激しく使う国は、世界中探してもありません。ただ調査によると、iモードのような高機能を使いこなすユーザは、高学歴の人が多いんです。今のところはメール中心で、テレビやウェブのようなメディア機能を果たしてはいない。可能性を活かしきっている状態ではないですね。

欧米はもともとタイプライターの文化ですから、子どものころからパソコンを使い始める。日本の場合は大学生でも、就職活動に必要になるまではケータイだけで済ますんですよ。僕も驚いたのですが、1200字程度のレポートもケータイで書いて送ってくる学生が、東大でもひとりや二人じゃないんです。実は親指入力はけっこう合理的で、最高ワープロ検定3級くらいの速さが出るらしい。日本はケータイの入力速度で世代が分かれますよ。

でも機械を使えることと、リテラシーがあるということにはズレがあります。入力が速くてもそれでいい文章が書けるわけではないし、写メールを使えても効果的にコミュニケーションができるわけではない。リテラシーには、操作ができること、その上でコミュニケーションができること、それが社会的にどういう意味をもつかを理解できることの三層がある。若い子は頭が柔らかいから操作は覚えます。でもほかの二層は、小学生から馴染んでいけるような教育学習を支える仕組みがないと、育たないだろうと思います。

昔はみんな読み書きができたら、どんなすばらしいことが起きるかなんて想像がつかなかったでしょう。今起きているのも、それとまったく同じようなことです。デジタル社会のリテラシーについては何も教えられていないのだけど、みんながそれをできるような状態になればいろんな可能性が広がります。今はウェブの情報が玉石混交だ、などとよく言われますが、発信のやり方を誰も教えていない状態ですから当然でしょう。新しい社会規範として、ひとりひとりがリテラシーを身につけることが大事だと思います。

学校の情報教育は、誰が何を教える?

〜“パソコン操作”のその先へ

一年前から高校では「情報」という科目が必須になり、中学の「技術」も情報とコンピュータで再編されるという動きがありました。ここ十年ほど、小学校にもコンピュータがどんどん導入されています。実際には、学校数の少ない地方のほうがやりやすいんですよ。熱心な市長などがいるとパッと進むので、地域によって格差があります。大都市の場合、全学校に平等に教員や施設を配置しようとすると予算的にも大変ですし、教育水準が下がってしまう。

高校の情報科の授業でいえば、週一度の授業の中で教えなくてはならない内容が多いので、操作をひととおり教える以上のところまではなかなかいかない。教科書は、ひと昔前のパソコン誌みたいな感じですね。授業ではウェブサイトの作り方も教えますけど、作るだけなら誰でもできるでしょう。それから進めて、例えばお客さんがずっと来てくれるとか、ボランティアを集められるとか、社会的効果のあるものを作るところまでは、ほとんど到達できません。情報の先生の多くは、短期間の研修で他教科から移ってきていて、十分なノウハウを持っていません。また、情報の第一線で活躍する人が教育現場に関わることは、稀ですね。

例えば編集の世界であれば、小見出しのつけ方、写真の撮り方など、ほとんど言語化されていない知の体系というものがあります。重要な技術なのですが、学問とは別ものとみなされてこれまで教えられてきていません。そのように職業の中で暗黙のうちに体得されてきたものを言語化し、子どもに体験させる形で、教育の世界に還元する必要があると思います。

越境的な共同体の創生へ

〜“くるたのしい”体験が学習を深める

情報教育はコンピュータがあればできる、というようなイメージがありますけれど、一番大事なのは人と人とのつながりで、やっていくにはいろんな人の知恵が必要です。私たちは実際に中学校や高校に出向いてワークショップを行っているのですが、発信型は楽しいんですよ。自分で作ってみてはじめてわかることが、たくさんあって。僕は「くるたのしい」って呼んでるんですけど、やっている間は苦しくともできた時の喜びが大きい。そんな風に感情が動かないと、学習は深まらない。体と頭を動かしてものを作りながら考えた楽しさは、自分の中に残るんです。

情報を教えるのに気をつけなければならないのは、いわゆる学校知と実践知の分離が起こりやすいということ。要するに世の中で行われていることと学校で行われていることが離れやすいということです。ですから教育を外の世界に開いて、デザイナーやプログラマー、編集者など、実際の情報の世界で働いている人が「いま新しい知はこうなってるんだよ」ということを持ってくるシステムを作っておかないと、面白くないし役にも立たないものになる可能性がありますね。

学校だけでとじこもるのではなくて、実際に情報を発信して社会を変えている現場とつなぐこと。ひとつの目的のある集団がぽつぽつと存在するのではなくて、それを越境的につなげていくことが非常に大事です。従来は人と人のつながりのなかった学校と業界に、共同の目標や活動を設定して一緒にやってみると、壁が崩れて新しい融合体のようなものが生まれてきます。デジタル社会のリテラシーは、そうしたコミュニティによって育まれていくでしょう。


Text by:スマキミカ




http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/
東京大学大学院情報学環・
学際情報学府

2000年に設立された独立大学院。学生の3割が20〜40代の社会人で、出版、CMプランナー、IT技術者など情報社会の第一線で活躍する人も多い。

http://www.mell.jp/
メルプロジェクト
(Media Expression Project Learning and Literacy Project)

情報学環に拠点をもつ。教育・メディア研究・メディア制作・ジャーナリズムなど、異なる分野を巻き込んでメディア表現や学びを研究する、緩やかなネットワーク型プロジェクト。

『デジタル社会のリテラシー「学びのコミュニティ」をデザインする 』
山内祐平
岩波書店 2,415円(税込)

『 社会人大学院へ行こう生活人新書』
山内祐平・中原淳(編著)
社会人大学院研究会(著)
NHK出版 693円(税込)


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