ブルースシンガー/国際セラピードッグ協会・代表

 大木 トオルさん 
Toru Oki

東京都日本橋人形町生まれ。67年より音楽活動を始め、76年に渡米。東洋人のブルースシンガーとして初のアメリカ永住権を獲得。そのソウルフルで情感豊かなヴォーカルで「ミスター・イエロー・ブルース」の異名をとる。全米ツアーの成功と共に、ジョン・リー・フッカー、アルバート・キング、ベン・E・キングなどのビッグアーチストたちとのレコーディング等、多彩な活動をおこなう。79年凱旋公演で来日。以降、毎年ジャパンツアーをおこなう。またセラピードッグ育成のパイオニアとして、AAT(動物介在療法)の普及に貢献。現在、A.M.S.アメリカン・ミュージックシステム、国際セラピードッグ協会、ユナイテッド・セラピー・ジャパンincなどの代表を務めている。

犬への意識の低さ、
そしてひとりで
立ちあがる勇気

セラピードッグ。医師やトレーナーと共に、人間の健康を回復させる手伝いをする犬のことをそう呼ぶ。病院や施設で、痴呆の進んだ老人が、セラピードッグと接することにより、話し、手を伸ばし、笑顔を見せる。余命わずか、と宣告された末期ガン患者が、生きる意欲を取り戻す。不登校の小学生が、閉ざした心を開くようになる。

こうした治療法は、動物介在療法(Animal Assisted Therapy)と呼ばれ、アメリカでは50年以上の歴史があり、オフィシャルなものとして認知されている。

「セラピードッグは、痴呆や障害で苦しんでいる人たちを助けることができるんです。私たちはその橋渡しをするだけ。犬が愛情とケアを注ぐ力は、私たち人間よりはるかに素晴らしいものがあるんです」

大木トオルさん。東洋人のブルースシンガーとして初のアメリカ永住権を得、日米ブラックミュージックの掛け橋となって活躍しているミュージシャンだ。そんな大木さんは、セラピードッグ育成のパイオニアとしての顔も持つ。

「日本では、大変な数の犬が殺されているんです。捨て犬を行政が処分するんですね。その数は毎年およそ20万頭です。ただこれは行政の発表です。一般の畜犬業者の手によって殺される犬もいるので、トータルでその倍、40万頭ぐらいが殺されているようです。

セラピードッグの訓練

セラピードッグのトレーニング教科には主に次のような内容がある。
  • アイコンタクトマナー
    (介護する人の目を見て確認する)
  • ウォーキングマナー
    (さまざまな人間の歩行の速さに合わせる。
     基本歩行、早足、駆け足など6段階)
  • クロスウォーキングマナー
    (障害物をよけて歩行者を誘導する)
  • ケインウォークマナー
    (杖をついて歩行する人と同行する)
  • ホイールチェアマナー
    (車椅子の左サイドに付き、同行歩行する)
  • ベッドマナー
    (寝たきりの老人を個別訪問する際に、個室
     での行動マナーとベッド上の基本マナーなど)


 日本のペット産業の売り上げは年間1兆5千億円ですよ。こんなに小さな国で、この額。これは犬を産ませる、売る、買う、捨てる、殺す、このビジネスの流れがまかり通っているからです。つい最近まで犬は法律上『廃棄物』扱いだったんです。廃棄物ということは、犬が命のあるものだとは思っていないんですね。今は犬を勝手に殺すと実刑になりますが、この法律が成立したのもつい最近で、ようやくまともになりました。でも、まだまだ犬への意識は低い」

犬への意識の低さ。それは日本でセラピードッグの普及に努める大木さんにとって、かなりの障壁になった。

「アメリカから日本に帰ってくるたびに、セラピードッグの必要性を政治家の皆さんにしていたんですが、『セラピー』って言うと『アトピーですか』と聞かれたりして(笑)。それだけ意識の低い人たちにセラピードッグの必要性を説いても、『それはいいことをされてますなあ』で終わっちゃうんですよ。何もしてくれないんです。政治や行政から変えないといけないと思っていたんですが、どうもこの人たちは駄目だと。動物の命のことはわかってくれないと判断したんです。

だから、まず自分が立ちあがろうと思いました。岡山県の老人介護施設の医学博士がセラピードッグに理解があったので、そうした方々の援助を受けながら厚生労働省の承認を得て、アメリカから現役の優秀なセラピードッグを3頭導入したんです。

導入して3年ほどたちますが、すごい効果が出てきました。痴呆があって、触ったり話すこともできなかった人が、セラピードッグの名前を呼ぶことによって痴呆の進行が緩和されるんですね。もう何人もの方がセラピードッグと一緒に寿命で亡くなっていきました。みんな「ありがとう」と言って亡くなっていくんです」

岡山での成果が追い風となり、大木さんはセラピードッグ協会を立ちあげる。



●セラピードッグの活動

2003年より、大木さんのふるさと、東京都中央区の3カ所の特別養護老人ホームで、公的予算が組まれるようになった。写真は中央区の施設で、チロリと触れ合う長谷川外吉さん。長谷川さんはセラピードッグに出会うまでは、歩くことも話すこともできなくなっていたが、次第にチロリの名前を呼ぶようになり、自分で歩行する意欲を持ち始めた。



● 著書


『名犬チロリ』

大木トオルさんが、捨て犬のチロリを救い、セラピードッグに育生するまでの過程を綴ったドキュメント。大きな活字でルビもふられており、小学生からひとりで読めるように配慮されている。マガジンハウス刊/1,260円(税込)。 ※『名犬チロリ』を大木さんとチロリのサイン(足型)入りで、3名にプレゼント、詳しくはこちらをごらんください。

● 映画

『犬と歩けば チロリとタムラ』

なんの取り柄もないひとりの青年が、一匹の捨て犬と出会う。青年は犬をタムラと名付け、そしてひょんなことからセラピードッグの存在を知る。タムラをセラピードッグにすることを決心した青年は、別れた恋人の傷ついた心を救おうと、トレーニングを続けるという物語。青年役にココリコの田中直樹、別れた恋人にりょう。他にPUFFYの吉村由美、ラーメンズの片桐仁など個性的な面々が揃っている。監督は篠崎誠。タムラを演じたのは、実際に大木さんのもとでセラピードッグとして活躍している「ピース」。チロリも登場。大木さんも犬の先生役で特別出演している。7月11日より名古屋シネマテーク、7月24日より松山シネ・リエンテなどで公開予定。

その他の詳しい上映予定は公式HPまで。

● CD


『Soulful』

2001年、9月11日の同時多発テロ以降、激動するアメリカに問いかける意味で発表した最新作。ラストに収録された「Sweet Little Darling」はチロリに捧げた曲。エイベックスよりリリース。3,150円(税込)。

● ホームページ


『国際セラピードッグ協会』

http://www.therapydog-a.org/aisatu.html


『大木トオルOfficial Homepage』
http://www.therapydog-a.org/oki/index.html

「国際セラピードッグ協会。なぜこれを立ちあげたか。それは捨て犬を救助するためなんです。盲導犬や警察犬などはほぼ犬種が限られるんですね。習性とか素質の面でどうしてもそうなってしまう。しかし、セラピードッグは犬種を問わないんです。適性があれば雑種でもOK。
 保健所で処分されるような犬は、やはり雑種が多いんですね。雑種は登記もないし、血統書もありません。それだけ命の尊さが薄いんです。人間から見ると、ペットショップで買う犬の方が可愛いし、綺麗です。しかし雑種だって同じように犬です。だとしたらこの犬たちをセラピードッグに育成することで、雑種犬に対する認識を変えることができれば、少しでも彼らを救うことができるはず。そのためには、オフィシャルな協会を設立するべきだと思ったわけなんです」

大木さんと、協会のトレーナーの方々が育成しているセラピードッグは、大半がかつて捨てられ、レスキューされた犬たちだ。大木さんの著書『名犬チロリ』に登場する、まさにチロリという名のセラピードッグも捨て犬だった。

「チロリは、死ぬ一歩手前で私が救った雑種犬です。それが今では名犬と言われて、『私の父が痴呆で、なんとかチロリに救ってほしい』とか『うちの娘が引きこもりなので、なんとかチロリに会わせてほしい』といったメールをもらったりするまでになりました。だから、このチロリという犬のおかげで、どのくらいの雑種が救われるか。
 この間、幕張メッセの犬のイベントにゲストで出たんです。チロリのサイン会をやったらものすごい数の人たちが集まりました。それはこの子がセラピードッグになったからですよね。人々の雑種に対する意識が変わってきました。これは大きいと思います」

失ったものを
取り戻すための闘い

大木さんが立ちあげたのは、協会だけではない。セラピードッグの育成と派遣をおこなうユナイテッド・セラピー・ジャパンincと、トレーナーの育成をおこなうユナイテッド・アカデミーの設立。そしてセラピードッグとトレーナーの認定証を作り、社会的な地位の向上をめざしている。

「『犬と歩けば』という映画にもなり、『名犬チロリ』も本になりました。私にもう少し力があったらもっと早くできたかもしれませんが、限界があります。でもなんとかここまで来たかな、というところです」

ここまで来たのは、大木さん個人の力によるものと言ってよいだろう。それにしても、ほぼ一人でセラピードッグの普及に邁進できた原動力は何なのだろうか。

「もっと楽に生きられたはずなんです。歌を歌ってかっこつけていればよかったんですけどね。他人から見たら、セラピードッグの活動なんて、何やってるんだと思うかもしれません。ほんとにヘビーですよ。
 ただアメリカに26年もいて、特にショービジネスの世界というのは他人を蹴落としていくような世界ですから、成功して裕福になっても、どこか精神のバランスがおかしくなるんです。クスリをやって死んだりする人が結構いましたしね。だから、アメリカのショービジネスの世界だけでは、自分は救われないと思いました。
 また、アメリカでは自分の職業以外のライフワークを大事にするんですね。だからやはり犬たちのことを日本に帰ってやるべきだと思ったんです」

音楽以外のライフワークに、セラピードッグ育成の普及活動を選んだ理由。それは、大木さんの人生が、犬とは切っても切れないものだったからだ。

「私はね、子供のときは吃音(発音障害の一種)だったんです。戦後まもない当時は、今の子供たちのように人権が守られる時代とは違いました。人はなかなか私の話す言葉を待ってくれませんでした。でも、犬たちは待ってくれるんですね。犬の名前を呼べば、呼び終えるまで待ってくれるし、口元を舐めてくれました。だから我が家にいた愛犬と一緒にいる時間が多かった。今思えば、それが私を支えてくれたんですね。
 そういう中で、10代のときにラジオのFEN(米軍極東放送網)を好きで聞いていたんですが、子供ながらにアメリカ音楽を歌うと、まったくどもらなかったんです。『お前、歌うとどもらないね』と言われて。それで人とコミュニケーションを取るために、一所懸命歌うようになりました。ですから、犬と音楽、これが私のルーツなんです。
 それでプロになって10年ほどたち、ようやく仕事が順調になったときに、結核で入院して。2年半にも及ぶ療養生活を余儀なくされました。結核は法定伝染病ですから、歌が歌えなくなったらどうしようと不安でした。そのときも身近に犬たちがいたんです。それに勇気づけられて、何とか結核を克服し、76年に渡米しました。本当に裸一貫という言葉が当てはまる状況で、よく言えば失うものは何もなかった。今考えるとこれが強味だったのかもしれません」

大木さんは、77年「TORU OKI BLUES BAND」を結成。79年、全米ツアーを実施し好評を博す。数々のビッグアーチストとの共演も果たし、ミュージシャンとして成功を収める。その成功の陰には、必ず犬がいた。

「どこに行っても私は犬と出会っているんです。自分が厳しかった時代に犬が助けてくれた。そしてアメリカではオフィシャルにセラピードッグが認められ、たくさんの障害のある人たちが元気づけられている姿を見て、これを日本で普及しようと決心したんです。それによって日本で殺されている犬たちを少しでも救おうと思ったわけです」

大木さんの努力は次第に実りつつある。その努力は、大木さんの言葉を借りると「取り戻すため」と話す。

「12歳のとき、家業が失敗しましてね。一家離散しちゃったんです。そのとき、飼っていた犬たちもよそに貰われていったんですけど、あの犬たちはいったいどうしているのかなって。この年になってもいまだにギルティ(罪)を感じます。犬たちに対してすまないと。
 だから、私が捨て犬を引き取って、セラピードッグに育てる活動をしているのは、ある意味、失ったものを取り戻そうとしているのかもしれませんね。人間同士だと、なんだかんだ文句も出るし、愚痴も言いたくなります。でも犬たちは愚痴を言いませんね。ひたすら私を信じているわけですから。施設でこの老人を助けろって言ったら助けるわけです。だからなんとしても、この犬たちを幸せにしてやりたい。そう思うのは当たり前なんですね」





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