“人間が凄く
立派だと思うのは、
慣れてしまうと
いうことなんです。”

奥山貴宏さん
編集者・ライター


ガンの告知。余命2、3年と言われた31歳の青年。
彼がとった行動は、既成の価値観にとらわれない闘病記を世に出し、
自分をプレゼンテーションすることだった。
同情や憐れみや善意など必要ない、と断言する彼のスタンスは、
多くの人の心に届くに違いない。

profile


奥山貴宏さん | 編集者・ライター
おくやま・たかひろ 1971年宮城県生まれ。山形県で育つ。日本大学芸術学部卒業後、出版社勤務を経て、フリーの編集者・ライターに。主に音楽、映像、パソコンなどのフィールドで活躍。31歳の誕生日を迎えて間もない頃、「肺ガン」と診断される。03年11月、日記形式のガン闘病記『31歳ガン漂流』(ポプラ社・刊)を出版。この日記は「奥山のオルタナティヴ日記31歳〜ガン闘病編」(http://www2.diary.ne.jp/user/109599/)として現在もWebで継続中。大のバイク好きでもある。

ガンであることをカミングアウト
今までにない闘病記を書きたかった

2002年12月。奥山貴宏さんは、体調を崩し入院する。診断の結果、肺ガンであることが判明。4種類ある肺ガンのうち腺ガンという、リンパ腺のような腺にできるガンであり、この時点での平均生存年数は2、3年だと告知された。

「2ヶ月ぐらいで休んで治る病気だったら隠すのもいいんでしょうけど、治らないですからね。死ぬまで隠すわけにもいかないし。まあ普通の人だったら、実家に帰って療養するしかないですよ。僕のようにライターの仕事をしていなかったら、病院で仕事なんかできないし、カミングアウトも難しいでしょう。そういう意味でラッキーだったと思います」

ガンであることをカミングアウトすることは、ライターとしての性がそうさせたようだ。

「ライターである以上、やっぱり本を出したいですよね。普通、雑誌の仕事をして、お金を稼いで、毎月家賃を払って、その上自分の好きなことを書いて本を出すというのは相当難しいことなんです。だから病気のおかげでこの本(『31歳ガン漂流』)が出せたというのは、良くも悪くも命と引き換えに出せた気がするんです。

なんだか神様に『君はこれから80歳まで健康に生きていけるけど、本は1冊も出せない』というのと、『君は30歳ちょっとで死んじゃうけど、本を出して、少しは伝説的な人になれる』というのと、どちらを選ぶかって訊かれたような気がして。それで本を出す方を選んじゃったんでしょうね。以前は、本が出せなくても健康な方がいいや、と思っていたんです。でもこうやって本を出しちゃうと、これで死んでもいいかも、という気持ちになっちゃいました。それくらい麻薬的な魅力がある」


【WEB】TEKNIX 〜オルタナティヴなフリー編集/ライターの終わりなき祝祭
http://www.teknix.jp/
【BOOK】31歳ガン漂流
奥山貴宏著 | ポプラ社 | 1,523円
Webマガジン『ポプラビーチ』に、2003年の2月から6月まで掲載したガン闘病記に加筆修正を加えた闘病記。
【blog】32歳ガン漂流エヴォリューション
http://www.publiday.com/ blog/adrift/

『31歳ガン漂流』。Webでの日記をまとめたこの本は、他に類のないユニークなガン闘病記となった。

「闘病記に限らず、つまらない文章を書いちゃ駄目だと思うんですよ。だから読みやすくて面白いものを書く必要があると思ったんです。全ての闘病記を読んでいるわけではないですけど、少なくともあまり読みたくなるようなものはないというか。だからそういうものを真っ向から否定したかったんです。笑い飛ばすって言うと言葉は悪いですが、ロックンロールしているというか、ステージの上でギターを叩きつけたいというか。今までの闘病記っていうフォーマットをぶっ壊して、僕だけにしか書けないオルタナティヴな闘病記を書きたかった」

オルタナティヴ。奥山さんが自分を表現する上で、キーワードとしている言葉だ。

「オルタナティヴというのは、要するに既成のフォーマットからはみ出しているものを意味しているんです。だからこの本でも、すごくシリアスな闘病という話と、どうでもいい話を全く等価に扱って書いています。常に病気のことを書いていると読者も辛いと思うので、ガンが脳に転移して、余命が1年とかになっていることを書いているのに、次の日には実家で飼っている犬がオシッコしたことを書く(笑)。そういうのが自分の中ではオルタナティヴだと思っています。本来ならガンの衝撃の余韻を引きずって書くべきなんでしょうけど、何事もなかったかのように、全然関係ないことを書くことによるコントラストを楽しんでいます」

どんな悲惨な状況でも
人間が持つ本来の力を信じたい

『31歳ガン漂流』が世に出たことによって、ある意味、特別な存在になった奥山さんのもとには、読者からの手紙やメールが多数届くようになった。

「宗教の勧誘とか、健康食品を買えとか、ホスピスに入れとか、そんなメールが来たりしましたけど、そういうのは嫌でしたね。読者からのメールに励まされたりもしますが、正直なことを言うと、複雑です。ほっといてくれっていう気持ちもありますし、かと言って注目されたい気持ちもある。

とりあえずは普通に接してもらいたいかな。気を遣われるのは一番嫌ですね。苦痛です。ただ、相手の立場になると、重病人を前にして気を遣わないでいるなんて無理でしょうからね。人づき合いってただでさえ難しいのに、さらに難しくなってしまいました。悩むのにも体力がいるんですよ。しかも悩む原因が自分の病気だということもあって、それがまた辛いというか。病気以外にも問題がすごく多いです。健康を失うだけでは済まないことがあるんですね。

最近日記で、相手の善意に押しつぶされて死ぬ、って書いたんですけど(笑)。見舞いにしても、来る人は自分が来たら僕が喜ぶと思って来るんでしょうけど、僕としては気分が悪くて誰にも会いたくないときもある。でも来るな、とは言えないですよね。せっかく来てくれたわけだから」

悩みは尽きないと語る奥山さんだが、決してそれだけではないと語る。人間が本来持っているポジティブな力によって救われたようだ。

「結局、どんなシチュエーションでもそうなんですけど、人間が凄く立派だと思うのは、慣れてしまうということなんです。例えばイラクに行った人というのは、最初はすごく脅えていると思うんですが、1週間もたつと、銃声が聞こえても何とも思わなくなるんじゃないでしょうか。だからどんな状況でも、人間というものは、慣れるものなんですよ。僕もこの状況にすごく慣れちゃってます。だからそういうメカニズムが人間の中に組み込まれているんだと思いますよ。

ある種、すごい極限状態じゃないですか。余命1年とかになってるわけだから。でも『あと1年もあるの?』っていう感じになってまして、良くも悪くも麻痺しちゃってます。そうしないとたぶん正気ではいられないんでしょうけど。

僕のような立場の人がいたとしても、『僕と同じように頑張って』という気は全くありません。まあ、病気も人生の中では通過点ぐらいに考えておいた方がいいんじゃないでしょうか」

奥山さんは、どんなに重い病気にかかった人でも、それがその人の人生の全てにはならない、と話す。

「もちろん重い病気にかかったときは、そのことが人生を支配して、破滅するような気持ちになるんですけど、人間というものは、病気ぐらいで駄目になるほどちっぽけなものではないと思います。

Mac用語で例えると、病気というのは、負荷が高いので一時的に容量不足になったり、システムがダウンして爆弾マークが出ることもあるでしょう。でもそれが全てではない。メモリがないと思っていても、仮想メモリが勝手にどんどん増えていく感じで、どんな悲惨な状況でも人間は慣れてしまうものなんです。そして、最終的には、自分というものを間違いなく取り戻せると思いますよ」

自分という人間を
プレゼンテーションするための活動

Web日記のリニューアル。書き下ろし小説。そして本人主演のドキュメンタリー映画など、今後の活動予定は多種多様にわたる。

「小説に関しては、だいたい取材も終わって、プロットもほぼ固まっています。ただ、まだ全然書いてないんですけどね(笑)。あとWeb日記をブログ形式(※)にしようと思っています。読者対話型の。今デザインを作ってもらっているんですが、なかなかいいものができないので、そこが悩みですね。Webって本と比べるとビジュアル性が高いので、いくらいい文章が載ってても、ぱっと開いたページが良くなかったら読む気がしないじゃないですか。あと毎日読者に読んでいただくものなので、飽きの来ないものがいいですし。下手したらこれが最後の連載になるかもしれないので、自分の生きざまというか、世の中の人に、僕はこういう人間なんだとプレゼンテーションするわけで、そこはあまり妥協できない。

それからドキュメンタリー。『31歳ガン漂流』が今まであり得なかった闘病記であるように、これまでになかった闘病ドキュメンタリーを作りたいですね。TVでやっているような感動ドキュメンタリーではなくて、見終わった後、『これって闘病ドキュメンタリーだったの?』と思わせるようなものになればいいと思っています」

現在、奥山さんは、病院に通いながら活動を続けている。そんな奥山さんが今、一番楽しみなのは、スポーツカーに乗ることだという。

「スポーツカーって実用的じゃないですよね。荷物もあんまり載らないし、乗り心地も良くない。そういう意味で、走るためだけに存在してるっていうか。

人間って何のために存在しているんでしょうか。走るためなのか。モノを作るためなのか。それとも地球を破壊するためなのか。それに比べてスポーツカーはなんて純粋なんだろうって思うんです。彼らは走るために存在しているだけですから。その純粋さに惹かれますね。幼児返りっていうか、原点返りっていうか、乗り物に乗るのがすごく楽しいんですよ」

私たちは、いつか必ず死ぬことを知っている地球上で唯一の動物だ。「死」を意識して生きるか、無視して生きるか。奥山さんの生き方を見て、その選択の自由を持っている意味を改めて考えさせられた気がした。






※ブログ形式

ブログとは、weblog (ウェブ日誌)の短縮形。記事が掲載順にそれなりの間隔で更新されているテキストメインのサイトのこと。本文中に他のページやサイトへのリンクが含まれていたりするスタイルが特徴的で、個々の記事ごとに読者がコメントを書けるようになっている。制作中だった奥山さんのブログは6月下旬に完成。「32歳ガン漂流エヴォリューション」と題してWeb上で公開されている。 http://www.publiday. com/blog/adrift/





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