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![]() 宗教集団か、民族か「ユダヤ人」とは、誰のことを指すのか。この問題に対して一言で答えられる人はいない。ユダヤ教の信者だと考えられがちだが、たとえば世界宗教と言われるキリスト教、イスラム教、仏教の信者が、それぞれ×××人とは呼ばれることはない。また、ユダヤ教では、神から使命を与えられたアブラハムに連なる子孫である、という系譜が重要な意味を持っている。では、ユダヤ人を民族として扱うべきなのだろうか。 ユダヤ人には、大きく分けて「アシュケナージ」と「スファラディ」と呼ばれる二つの系統がある。世界のユダヤ人1500万人のうち、その9割を占めるアシュケナージは、主に東欧を中心とした地から出たヨーロッパ系の人々、そしてスファラディは、中世までスペインで活動していたアジア系の人々だと言われている。 一般的に、ユダヤ人らしさとして認識されている特徴と言えば、かぎ鼻で、黒く波打つような髪を持ち、ちょっと東洋的な目で、小柄である、という感じ。たしかにそのような特徴を備えたユダヤ人はいる。しかし、金髪碧眼で背も高く、他の白色人種と全く見分けがつかない人も多い。それどころか、世界には、正当な血筋のユダヤ人だと名乗る、黒人もアラブ人も中国人もいる。 現在イスラエルでは、ユダヤ人とは「ユダヤ人を母とする者、またはユダヤ教徒」だと規定している。だから、日本人でもユダヤ教に改宗すれば、ユダヤ人ということになる。また、ユダヤ人の母を持っていれば、ふだん全くユダヤ教に無関心な人でも、やっぱりユダヤ人と呼ばれるのだ。たとえばマルクスは、ユダヤ教を捨てたにもかかわらず、ユダヤ人として世界から認知されている。もっとも最近では、ユダヤ人以外の人と結婚する人が増え、この問題はますます複雑化してきている。 このようにユダヤ人を簡単に定義できない事情には、彼らが二千年もの間、あらゆる土地から追い払われ、世界中に離散した歴史が関係している。それでもユダヤ人としてのアイデンティティを持ち続けてきた彼らを理解するには、やはりどうしても、ユダヤの歴史をたどる必要がある。 ユダヤ人のルーツ![]() 古代ユダヤ人と神との契約を記した『旧約聖書』は、ユダヤ教のみならず、キリスト教、イスラム教の聖典である。この三つの宗教は、同一の神を信仰する兄弟のようなものなのだ。現在、世界の宗教人口は、この三つで50%を少し超えるから、根強い確執はあるものの、世界の半数以上が同じ神を信仰している、と考えると恐ろしい気もする。現代に至るまで、この神は人類にどれだけの影響を与えてきたのだろうか。旧約聖書が、どこまで史実を正確に表しているかはわからないが、なにはともあれ、まずはそこに記されたユダヤ史を追ってみよう。 紀元前19世紀、メソポタミアの地。西アジアからアフリカ東北部に居住していた遊牧民セム族の男、アブラハムの前に神が現れた。神はアブラハムとその子孫に、カナンの土地を永久に与えると言って、彼にその地へ向かうように命じた。このカナンの地こそ、現代のイスラエルである。カナンの地へ移ったアブラハムの孫ヤコブから、12の氏族が生まれた。しかし、飢饉が起き、諸部族はエジプトへ逃れる。その子孫は400年にわたって奴隷とされ、ピラミッド建築などの使役を担わされていた。ここで、ユダヤ史の中に燦然と輝くモーゼの登場となる。彼は神の言葉に従い、全部族を率いてエジプトを脱出、彼らは再びカナンの地へ帰ることができたのだった。 紀元前10世紀は、ユダヤ人にとって、唯一といってもいい黄金期だ。天才的な軍事力を発揮したダビデ王、抜群の知力を持つソロモン王によって、イスラエル王国は栄華を極めた。しかしその繁栄も長くは続かなかった。ソロモンが死ぬと部族間抗争が起こり、10氏族が属する北イスラエル王国と、ダビデの血を引く2部族による南ユダ王国に分かれた。その結果、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、10氏族は断絶。残る2氏族が、「ユダヤ人」として現代に続いているのだ。 ここで余談になるが、この失われた10氏族は死滅せず、世界に散らばっていったという説が数多く残っている。アジアでは、中国、チベット、インド、ミャンマー、アフガニスタン、パキスタン、アフリカではソマリア、エチオピアなどに、イスラエルの末裔だという伝説を持つ民族が現在も存在している。また、アメリカにはブラック・ヘブルと名乗る黒人達の集団がいて、彼らは20世紀にイスラエルへ集団入国したそうだ。真偽は定かではないが、実を言うとそのような伝説は日本にもある。 多くのユダヤ人はイスラエルと無関係?さて、ユダヤ人の正式な祖となる2部族は、その後、過酷な運命を歩み続ける。エジプト、バビロニア、ペルシアという強大な国家に従属しながら、少数民族として生き延びるが、イエスが生まれ、その後ローマ帝国がキリスト教を正式に国教として認定すると、ついに徹底的な弾圧が始まるのだ。特に11世紀以降、十字軍によるエルサレム奪回の後は、差別や迫害のみならず、様々な国で「ユダヤ人追放」という政策がとられるようになった。結果、ユダヤ人達は、集中的にスペインに流れ、この地で高度な共同体組織を築く。たとえばユダヤの神秘主義カバラは、表だった活動ができなかったこの時代に生まれている。しかし、スペインもついにユダヤ人追放令を下した。脱出したユダヤ人達は、地中海各地や北アフリカに離散した。つまり、彼らを祖とする人々が、冒頭に述べた「スファラディ」であり、セム族の末裔である。 ところで、20世紀後半、ハンガリー出身の思想家アーサー・ケストラーは、衝撃的な論文を発表した。自らも「アシュケナージ」である彼が、多くの史実を重ね合わせた結果、アシュケナージとは、イスラエルの民とは全く関係ない、カザール王国の子孫達である、という結論を出したのだ。現代においてアシュケナージは、ユダヤ人の9割を占めることは先にお伝えした通り。たとえばイスラエルでエリートとして活躍しているのは、そのほとんどがアシュケナージであり、スファラディはブルーカラーとしての仕事に従事していることが多い。加えて特集の第一回目でお伝えしたような、経済界や最先端科学で活躍する人々もやはり、主にヨーロッパからアメリカに移住したアシュケナージである。もしケストラーの言うことが事実なら、ユダヤ人についての定義が根本から変わってくる。 カザール王国は、6世紀から11世紀にかけて、カスピ海と黒海にまたがる広大な地域に築かれた帝国だった。7世紀にはイスラム教が誕生し、しだいに勢力を強めており、西には、キリスト教を掲げるビザンチン帝国があり、世界は二つの勢力によって二分されていた。その間に挟まれたカザール帝国は、9世紀頃、驚くべき選択を行う。それは国をあげてユダヤ教へ改宗するという決断だった。時の皇帝は、ユダヤ、キリスト、イスラムの三宗教を比較して、「ユダヤ」を選んだ。その主な理由は、やはり政治的動機によるものだっただろう。しかし、その実用的な教義にも魅力を感じたのではないかと考えられている。こうして世界史上類を見ない「ユダヤ人以外のユダヤ国家」が生まれた。カザール帝国は、その後、北方のルス人(後のロシア人)に侵略され滅亡する。その後しばらくして、東欧のユダヤ人の人口が爆発的に増えたのは事実である。アシュケナージとカザール王国を結ぶ謎は、ユダヤ社会では長い間タブーとされてきたが、近年、遺伝学者のチームは、アシュケナージ系ユダヤ人の半分以上に出現する遺伝子の特徴が、中央アジアに発するもので、セム族など近東起源のものでないことを発表したという。 ">イスラエルとアメリカ![]() だからと言って、アシュケナージが偽物のユダヤ人というわけでは、もちろんない。彼らは、中世から近代にかけて、ゲットーと呼ばれる居住区に隔離され、職業を限定され、キリストを殺した悪魔としての迫害を常に背負いながら、ユダヤというアイデンティティを保持し続けてきたのだから。本来、セム族もカザール人も、いくつもの人種が混じった民族だったと言われている。流れ着いた土地においてもまた、幾多の異種族通婚が行われただろう。つまりユダヤ人とは、単純な信仰者でも民族でもなく、ユダヤ的なるものを継承する人々と言えばいいのかもしれない。 ユダヤ人を追放しなかった国でも、常にユダヤ人は抑圧対象とされた。ユダヤ人達は土地を持つことを許されなかった。職業は、当時、卑しいとされていた金融業や商業に限定される。しかし、国家の中には、表面上でユダヤ人を差別しながら、その裏では金融界を牛耳る参謀としてユダヤ人の能力を利用していたところもある。その後、ナポレオンのゲットー解体とともに、ユダヤ人達は市民権を獲得し、解放運動も行われるようになった。20世紀の第一次大戦、第二次世界大戦は、ユダヤ人達にとって大きな契機となった。一つは、シオニスト達によるイスラエル建国、そしてもう一つが、アメリカへの移住である。膨大な数のユダヤ人達が、苛烈な迫害から逃れるために、また成功を求めるために、新大陸アメリカに旅立った。 もちろんアメリカでも根強い差別感情は残っていたが、二つのベクトルは、因習的な反ユダヤ主義をはねのけるように、ユダヤ的なるものが表舞台に出ることを可能にした。当然のことだが、それがゆえにアメリカとイスラエルの結びつきは一筋縄ではいかないほど強い。また、今年11月に行われるアメリカの大統領選で、ブッシュの対抗候補となったジョン・ケリーは、歴史上初のユダヤ系出自を持つ候補と言われている(本人はカトリック教徒)。メインストリームのメディアには決して出てこないが、世界の情勢を伝えるニュースの裏側には、常に「ユダヤ」というキーワードが存在している。これから世界がどのように動くのか、これらの視点から重層的に見ていくと、きっと今まで見えなかった要素が浮かび上がってくるのではないかと思う。 次回は、知られざるユダヤの世界を、さらに別の角度からご紹介する予定だ。 ■参考文献 『ユダヤ人とは誰か』 アーサー・ケストラー著 三交社 『ユダヤ人の歴史』 マックス・ディモント著 ミルトス |