「ひきこもり」の若者を見て、どう思うだろうか。
つい、ネガティブな印象を持ったりしないだろうか。
ここに「ひきこもり」をステップにして、プロの作家になったひとりの若者がいる。
経験者だけにしか語れない、「ひきこもり」を脱するための意識、そして方法論。
ネガティブなものがポジティブに変わる瞬間を感じ取ってもらいたい――。

“ここで失敗したら
 一生無職のひきこもりだと思いました。”

PROFILE

滝本竜彦さん/作家
たきもと・たつひこ。1978年、北海道生まれ。ひきこもりが高じて大学を中退する。一発逆転を目指して小説を書き始め、2001年『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で作家デビュー。第5回角川学園小説大賞特別賞を受賞。2002年に発表した第2作『NHKにようこそ!』も好評を博しコミック化される。2004年にはエッセイ『超人計画』を発表。作家としてのキャリアを着実に積みつつある。


都会に憧れた若者がたどり着いた、
ひきこもりという状態

KEYWORD

ひきこもりの定義

医学博士、斎藤環さんの分析によると、ひきこもりとは「不登校」や「家庭内暴力」といった言葉と同様、ひとつの状態を示す言葉であり、自宅などにひきこもって社会参加をしない状態が6ヶ月以上持続しており、精神障害がその第一の原因と考えにくいものをいう。

ひきこもり人口

厚生労働省は2001年5月に保健所を中心に行われた全国調査の結果を発表した。全国の保健所や精神保健センターなどの施設相談窓口に、1999年12月からの1年間で、精神疾患ではないひきこもりと考える事例の相談は6151件。事例のうち、21歳以上の相談例は57.8%、5年以上ひきこもっている事例は23.3%だという。ただし、保健所に相談するケースはひきこもり事例全体からみて、必ずしも多数派ではなく、斎藤環さんは、自身の臨床的実感から、ひきこもり人口は80万人から120万人と推定している。

参考:『ひきこもり救出マニュアル』斎藤環・著/PHP研究所)

滝本さんは、ひきこもり経験者で、今はプロの作家という珍しい経歴の持ち主だ。そもそも彼がひきこもってしまった原因は、華やかな都会に出たい、という願望から生まれてきたものだった。

「実家が北海道にあり、すごく田舎だったので、それが嫌で仕方なかったんです。僕のようなアニメやゲームが好きなオタク的な人間にとっては、田舎はまともな本屋もないですし、趣味の合う友達もいなかったので、都会に対してものすごく憧れがありました。それで都会の大学ならどこでもいいと思いまして、東京の大学に入学したんです」

都会に行けば、楽しいことがたくさんある――それはただの幻想にすぎなかったという。

「都会にはいろいろ華やかな施設があって、新しい出会いがあり、恋愛もして、テレビドラマにあるような生活が送れるんだなと思っていましたが、当然そんな生活ができるわけもなく、大学一年の夏ぐらいから、五月病のような状態が続きました。
 そんな調子ですからほとんど友達もできず、今日は暑いから休もうと思って学校を休み、次の日もだるいから休んだりして、一日二日休んでいるうちにそれが一週間になりまして。一週間が一ヶ月になり…ずるずると休んでしまったんです。それでも一年生の頃は単位を24ぐらい取ったんですよ。多少は学校に行ってたんですけど、二年生になると、ほぼ完全に欠席状態で自分のアパートにひきこもってしまいました」

滝本さんのひきこもりは、二年近くにも及んだ。その間の精神状態はどのようなものだったのだろうか。

「ひきこもった当初は、自分のダメさ加減に嫌気がさしていたんですが、次第に自分に対する怒りが薄れてきたんです。なんとなく不安なんですが、何もする気にならず、何でこうなったのかもわからず、ひたすら寝てましたね。外からの刺激がないので、自分の考えが固まってしまい、毎日同じことを考えているので、ある意味安定した感じでした。思うに、目が覚めていると、何で自分はこんなひきこもりをやっているんだと、嫌な気分になってしまうので、できるだけ意識をなくそうとしていたのでしょう。
 社会との接点は、近所のコンビニに買い物に行くぐらいでしたね。あとはインターネット。ただ僕はチャットや掲示板は苦手だったので、ひたすら見たり読んだりするだけでした。もしコミュニケーションの手段として掲示板などを利用していたら、ひきこもりから脱出できるきっかけを掴めたかもしれませんが…」

ひきこもりからの一発逆転
親への言い訳から作家をめざす

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

角川書店/540円(税込)
平凡な高校生の前にいきなり現れたセーラー服の美少女。彼女は正体不明のチェーンソー男と死闘を繰り広げている。高校生は知らず知らずのうちに、得体の知れない戦いに巻き込まれ…。滝本さんの作家デビュー作。

NHKにようこそ!(コミック版は第1巻が発売中)

角川書店/1,785円(税込)
「NHK」とは「日本ひきこもり協会」の略。ひきこもりに悩む青年が、宗教勧誘にきた謎の女の子と共に「ひきこもり脱出プロジェクト」を実践する姿が描かれる。コミック化もされており、滝本さんは原作者として参加。

超人計画

角川書店/1,365円(税込)
滝本さん自身が主人公。妄想の中で作り上げた「脳内彼女」との恋愛小説風エッセイ。「超人」は哲学者ニーチェの「超人思想」からとられたもので、ひきこもりの青年が「超人」になるべく奮闘する姿も描かれる。

二年近く続いたひきこもり状態。そんな滝本さんの身に変化が訪れたのは、大学三年の頃だった。

「僕が行っていた大学は、単位を取らなくても自動的に四年まで進学できるシステムだったんです。僕は絶対四年で大学を卒業するよ、と親にウソをつきながらひきこもってました。
 大学三年に進学したときに、さすがに親をこれ以上だますのは無理だろうと思い、卒業できないことを言おうとしたんです。そのとき、ひきこもっていたから卒業できないと話したら絶対怒られると思ったので、作家になるつもりで、日々小説を書いているんだという言い訳を思いついたんです。それで三年生のときに小説を書き始めました」

作家になるというのはただの言い訳だった。しかし、滝本さんは、元々作家になるのが夢だったと話す。

「作家になろうという夢は小学校時代からあったんです。だからと言って何もやっていませんでしたけどね。ただ、ひきこもりが続くと、最悪、それこそ親が死ぬまでずっと養ってもらわなければなりません。それではあまりにも悲しいので、何とか自力で生活費と社会的身分を獲得しなければならないと思いまして。そのためには絶対売れる小説を書くんだと。そんな感じで追い込まれていました。ここで失敗したら一生無職のひきこもりだと思って。まあ、ひきこもっていた分、多少集中力がアップしていたのかもしれません。だから書けたのかな」

滝本さんは書き上げた小説を、作家エージェンシーの会社に持ち込んだ。そこで見込みがあるとの判断を受け、何度かの書き直しを経て、2001年『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で待望の作家デビューを果たす。チェーンソーを振り回す謎の男と戦うことによって、目的のない青春の日々を満たしていく高校生の男の子と女の子を描いたこの作品は、タイトル通り、「ネガティブ」なものが「ハッピー」に至る過程を綴った作品となった。

「やはりエンターテイメントですから。小説を書く上で、バッドエンドで終わらせるのは誰でもできますよね。現実はハッピーエンドで終わることは少ないですし。でもそんなものは小説で書いても仕方がない。なんとか希望を見つけようと思って書くことを心がけました」

エンターテイメント小説の書き方は、ハウツー本を読んで研究したという。

「マニュアル本やハウツー本を集めるのが趣味なんです。普通、どんな仕事でもマニュアルがなければ、何もできないと思うんですね。だからマニュアル本に載っていることを完壁に守れば、誰でも出版できるレベルのものが書けると思いますよ」

第二作目の小説『NHKにようこそ!』は、まさにひきこもりの青年が主人公だが、自分とは全く違う、と語る。

「よく作者と小説の主人公を同一視することがありますが、僕と主人公は全然違います。主人公たちはヒーローとして書いてますから。同じダメ人間でも、カッコいいダメ人間と、見るのも嫌なダメ人間というものがありますが、『NHKにようこそ!』の主人公は、明らかに前者で、とにかくみんなに好かれるカッコいいキャラクターにしようと思って書きました。それがエンターテイメントということであり、商品として読者にお金を出してもらえるものになることだと思います」

ひきこもり状態は継続
しかし、自信は確固としたものに

「ひきこもり世代のトップランナー」と自称する滝本さんは、現在でもひきこもりから完全に脱したわけではない。作家活動を続ける上で、悩み、苦しみ、それがひきこもりを悪化させることになったこともあるという。

「『NHKにようこそ!』を書いたあと、ひきこもりの悪い部分が出てきたんです。いったん悪いことを考えると、どんどん悪いことしか頭に浮かんでこなくなってしまう。ひきこもりを超えて廃人同然になってしまいました」

そして、苦しみながら書き上げた第三作目の『超人計画』。『NHKにようこそ!』以来、二年の歳月をかけて完成したこの作品は、私小説ともエッセイともつかない、独特なユーモアを漂わせた作品となった。

「書き始めてすぐ気がついたんですけど、僕にはエッセイは無理だなと思いまして。なぜかというと、ひきこもっているから話題がないんです。普通、エッセイというと、何かを経験したりして書くんですが、何も見てないし、何も聞いていない。新しい経験は何もないので、困りました。それで苦肉の策で『脳内彼女』というものを考えて、それがなかなかいいキャラクターになったので、だったらこの『脳内彼女』と主人公の恋愛小説にしてしまえと」

HP

Boiled Eggs Online
http://www.boiledeggs.com

脳内彼女。それは主人公が妄想して考えた空想上の恋人のことをいう。『超人計画』は、この脳内彼女が人格を持ち、ひとりの女の子として喋り、笑い、主人公と心を通わせる。

「でも明らかに人間の恋人がいた方がいいですよ。ひきこもりの人って、異性に対するコンプレックスがものすごく強いと思いますしね。国が強制的にひきこもりの人に恋人をくっつけるべきだと本気で思います(笑)」

さまざまな葛藤と努力を経て、作家として独自の道を進みつつある滝本さん。小説を書く前と書いた後では、明らかに自分自身に対する意識が変わったようだ。

「頑張った経験があると、それが自信につながるんですね。『超人計画』を書いたあとは、いろいろ友達も増えまして、結構外に遊びに行くようになりました。
でも、他の作家さんに比べると、何も働いてないのと同然です。やっぱりひきこもり精神というか、怠け癖が出てしまいますね。そもそも作家になりたいと思ったのは、小学生の頃に読んだ誰かのエッセイに、『作家は会社に行かなくてもいいし、他人と一緒に働かなくてもよいので、すごく楽な仕事だ』と書いてあったのを読んだからなんです(笑)。やっぱり、一度、就職して社会の荒波に揉まれないと駄目ですかねえ」

そう笑う滝本さんは、今や雑誌の連載を何誌も抱え、単行本の予定も二冊ある売れっ子だ。当分は個性的なエンターテイメント作家として、人々を楽しませる仕事に従事することになるだろう。「ひきこもり」というネガティブな状態を抱えながら、それをポジティブなものに転化しようとする、そんな努力と意気込みを得るきっかけは、実は自分の足元に転がっているのかもしれない。




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