「ユダヤ」というキーワード/イスラエル旅行記Phase.4
ヴィア・ドロロサ
キリストが十字架を背負って歩いた「悲しみの道」


嘆きの壁 正統派のユダヤ教徒
情報をいくら集めてみても、理解には到達できない。やはり、自分の目で見、耳で聞き、肌で感じることで得られる実感は、何ものにも代え難い情報だ。ユダヤというとらえどころのないテーマに臨んだ私達は、それならば、やはりユダヤの象徴である、イスラエルという国に行ってみたいという欲求を持つようになった。中東の中で唯一の民主主義国家と言われるイスラエルは、少し前まで観光産業が盛んで、年間200万人を超える旅行客が海外から訪れていた。しかし、テロが頻発する現在、その数はぐっと減少し続けている。だからこそ、今イスラエルで何が起こっているのか、その空気を感じたい。私達は、イスラエル行きの切符を手に、東京を飛び立った。

いざ、イスラエルへ


エルアル・イスラエル航空

ベテシャン 古代ローマ時代の都市跡

「山上の垂訓」の教会

イスラエルの空は青かった。私達が、イスラエルのベングリオン国際空港に降り立ったのは、2004年7月。日本を猛暑が襲っている頃、イスラエルは快適といえるほどのからっとした天気だった。夏休みだというのに、他の国際空港と違い、日本人観光客の姿はほとんどない。それもそのはず、日本の外務省は、イスラエル本土及びその他の占領地域について「渡航の延期をおすすめします。(事情の許す方は、安全な場所へ移動することをおすすめします)」と告知しているし、イスラエル政府観光局は、渡航者がほとんどいないという理由で、少し前に日本人向けのWebサイトを閉鎖してしまった。今この時期に、テロの相次ぐイスラエルへ旅行しようというのは、特別な事由があるか、ちょっとへそまがりな人、と言えるかもしれない。

私達リンククラブのスタッフがイスラエルに行ってみようと思ったのは、実を言うと、だからこそ、というところがある。この混沌とした時期に、ユダヤ人の象徴ともいえる土地をリアルに実感したいと考えた。そして、世界の50%以上を占める世界宗教、ユダヤ・キリスト・イスラムの聖地であるところのエルサレムとはどんな場所か、それをこの目で確かめたいと思った。

そもそも、日本を発ちイスラエルに到着するまでにも、驚くことがあった。私達が利用した飛行機は、国営のエルアル・イスラエル航空。日本からの直行便は無いため、香港経由で乗り換えとなる。さて、このエルアル・イスラエル航空のジェット機、実は世界で最も優れたテロ対策の装備が完備されている。貨物室には特別な装甲が施され、万が一そこで爆発が起こっても、飛行を続けられる設計。そして、戦闘機のような誘導ミサイル欺瞞装置が装備されているのだ。機内には、特殊部隊出身の武装した私服保安要員が複数同乗、客室乗務員(フライトアテンダントも含めて)はイスラエル軍の元兵士だ。とは言っても、イスラエルの国民には男女問わず兵役義務があるので、例外を除けば、国民は皆、元兵士ということになるのだが。搭乗前のチェックも、当然厳しい。そのため、世界で最もハイジャックの起こる可能性の少ない航空機とも言われていた。ただし、見た目からして物々しい航空機というわけではない。つい最近まで、イスラエルの産業で最も大きな位置を占めていたのは観光だから、サービスも洗練されている。それでも、彼らは常にテロの起こりうる可能性の中に生きている。この装備は、彼らにとってごく当たり前のことといえるのかもしれない。

車でエルサレム市内に移ってからも、機関銃を下げた人を、そこここに見かけるが、彼らは兵士とは限らない。国民は許可を得れば銃器を携行することが可能なのだ。テロが毎日のように起こるという現実とは、こういうことなのかとあらためて感じた。実をいうと、私達は物珍しさもあって、今回の旅にボディガードをつけることにした。私達の前に現れたのは、イスラエルの特殊部隊モサド出身の元兵士。もちろん彼も、最新のイスラエル製ピストルを携行していた。

歴史が生まれた場所


ラビン首相暗殺現場の記念碑(ラビン広場)

聖墳墓教会
「イエスの墓」の教会

預言者ヨナが船出したヤッフォの港

カペナウム ペテロの家に咲くブーゲンビリア

イスラエルには多くの聖地がある。エルサレムの街に入ると、長い歳月を経た石造りの家並みが現れ、古代史の街を歩く興奮に襲われる。紀元前1000年、ダビデ王が「神との契約の箱」を安置する祭壇を築いた神殿は、二度までも破壊された。そこに残された僅かな壁が、ユダヤ教徒の祈りの場として最も有名な「嘆きの壁」だ。彷徨うユダヤ人達の痛切な祈りが連綿と捧げられ続けたこの場所は、一種異様なエネルギーが凝固しているような印象を受ける。また、キリストがゴルゴダの丘に向かう途中、重い十字架を背負いながら歩いたという「悲しみの道」は、今もこの石畳の下にある。私達日本人にとっては、架空の物語のように思えるこの逸話だが、この下をキリストがたしかに歩いた、とイメージすると、リアリティとして目前に迫ってくる。そして石造りの街の中でひときわ異彩を放っているのは、イスラム教徒の聖地、まばゆいばかりの「黄金のドーム」だ。ドーム内にある「モリヤの岩」は、開祖ムハンマドが昇天したところと言われている。エルサレムは城壁に囲まれた街だが、隣接するシオンの丘には、ダビデ王の墓、キリストの最後の晩餐の部屋、聖母マリアが眠る教会などが林立する。現在の世界につながる大きなうねりがこの小さな土地から始まった、と思うと一種独特の緊張感を感じざるを得ない。

私達は車をチャーターし、イスラエル国内を急ぎ足で回った。ダビデ王とキリスト生誕の地ベツレヘム、キリストが最初の弟子ペテロと出会った緑豊かなガリラヤ湖畔、砂漠の中の古代都市アブダット、そしてなんと言っても印象深いのは死海だ。死海はヨルダン川が流れ込む湖だが、出口がないため、水分蒸発量が多い。その結果、塩分濃度30%以上という特殊な環境が出来上がった。見た目はエメラルド色をした明るい水景だが、生物の生存は不可能だ。とろりとした液体に身を沈めれば、どんなカナヅチの人でも、ぷかりと浮かぶ。なんとも不思議な土地だが、死海と言えば、20世紀にそれまでの常識を覆した『死海写本』を思い出す。1947年頃、死海北西にあるクムランの洞穴で、3人のベドウィン(羊飼い)が、巻物の詰まった壺を発見した。考古学者が調べてみると、これはキリストが生まれる少し前に存在したユダヤ教のクムラン共同体のものだった。発見された文書は、旧約聖書の主要なものが写本となって残されたものだったのだ。この世界最古の聖書の出現は、世界をショックに陥れた。既存の写本を1000年以上もさかのぼる死海写本は、現在まで伝わる旧約聖書と内容はほとんど相違がなく、これによってユダヤ教徒が旧約聖書を正確に伝えてきたことが証明された。一部の学者が写本を独占して公開が遅れたため、いろいろ陰謀説が出たが、まじめな学界ではそれは否定している。クムラン共同体は、同時期に存在したエッセネ派と呼ばれる集団と同定される。彼らの教えは、キリスト教の背景を知る上で役立つことは間違いないようだ。

ハイテクと頭脳によるネットワーク


神域に建つ「黄金のドーム」
アブラハムがイサクを捧げた場所

クムランで発見された死海写本(レプリカ)

カルドー ローマ・ビザンチン時代の列柱街道

さて、ここまでは古代史を巡る旅だった。次は現代のイスラエルに目を向けてみよう。現在イスラエルの人口は550万人。81%がユダヤ人、17.3%がアラブ人、その他に少数民族が1.7%いる。小さな国であるが、農業と様々なハイテク及び電子ベンチャー産業において世界各国の最先端を行っている。イノベーションに強いイスラエル企業は、その特許収入だけで莫大な収益があると言われている。日本でも、エレクトロニクス、ソフトウエア、医療機器、印刷、コンピュータグラフィックスなどの分野で、大手企業が使っている機器が実はイスラエル製であることは珍しくない。また、農業も盛んで、現在イスラエルは食糧のほとんどを自給している。そして、ダイヤモンドの加工については、世界の80%のシェアを持っている。

外国とのジョイント・ビジネスでイスラエル経済は目覚ましい発展をとげたが、貿易収支の赤字は海外からの援助で補ってきた。その額はこの40年間で700億ドルを超える。ここで日本人にはあまり知られていない意外な事実をお伝えしよう。イスラエルを国外(主にアメリカ)から支援する意外な企業についてだ。たとえば、スターバックスの会長シュルツ氏は活発なシオニストとして知られている。2002年までマクドナルド会長兼CEOだったグリーンバーグ氏は、シカゴのアメリカン・イスラエル商工会議所の名誉会長だ。そしてインテルは、最も大きなイスラエル支援企業のひとつ。1999年、インテルはイスラエルに工場を建設し、そこから大きな利益を得ていると言う。私達の日常的な生活の中に溶け込んでいる、コーヒーやハンバーガーやコンピュータの売上の一部が、イスラエルに投入されているというわけだ。

このように知的産業が活発に行われているイスラエルだが、これまでの特集でもお伝えした通り、教育には力を入れている。驚くべきことに、2歳児の多くが、そして3、4歳児のほとんどが何らかの幼稚園プログラムに参加している。学校制度は、6歳から16歳までは義務教育。また18歳までの教育は無償である。そして成績上位3%に入っている生徒は、生徒の能力と勉強のレベルに合わせた特殊教育が行われる。総合高等学校では、簿記、機械、エレクトロニクス、ホテル業、グラフィックデザインなど、色々な職業教科が行われる。これらのプログラムは、学生が、週のうち3日は学習し、残りは自分の選んだ職業の現場で実際に働くという非常に実践的なもの。もちろん、ユダヤ教の教典、伝統、慣習に重点を置く国立宗教学校もある。エルサレムの街では、ウルトラオーソドックス(超正統派)と呼ばれる、黒い衣装に身を包んだ人々をあちこちで見かけた。彼らは、現在のイスラエルでは、税金も兵役も免除されることから人口の3%以上を占めるまで急増し、ちょっとした問題になっているということである。

世界のパラダイムが変わる時

イスラエルは、その建国の経緯、そしてパレスチナ問題を抜きにしては語れない。最後にその歴史に少しだけ触れておきたい。前回の記事でも紹介したように、第二次世界大戦はユダヤ人の運命を大きく動かした。1948年、世界のシオニスト達が集結、ついにイスラエル国家の建国を宣言した。しかし当時イスラエルは、パレスチナ人達が居住する土地。ここから終わり無き流血の紛争が始まる。1993年のオスロ合意とそれに続くパレスチナ暫定自治協定によって、かつての占領地の一部からイスラエル軍が撤退し、パレスチナの暫定自治が始まった。パレスチナ自治区には8mの高さがある壁が張り巡らされ、イスラエル人とパレスチナ人を分断、自治区の外側はイスラエル軍が取り囲む。パレスチナ人が、かつてユダヤ人がそうであったように、「巨大な牢獄にいる」ような状況に置かれているのもまた現実だ。今も紛争はとぎれることなく続き、自爆テロや爆撃は頻繁に起こる。

土地は誰のものか、その答を正確に出せる者はどこにもいない。これは単に二つの民族の争いではなく、世界を動かす経済、政治が関わっていることは確かだ。イスラエル・パレスチナ問題が解決する時、それはすなわち世界全体のパラダイムが変わる時と言えるかもしれない。前回の記事で、アメリカ大統領選の行方について触れたが、実を言うと、ユダヤ社会ではブッシュ、ケリーどちらがなっても全く問題がないような体制ができあがっているのだ、ということも耳にした。

私達の滞在中、幸運なことに大きな事件は起きなかった。しかしいつ生死に関わる出来事が起こってもおかしくないという日常がイスラエルにはある。その緊張感、そして4000年にわたる歴史と、グローバル社会の鍵として存在する独特のエネルギー。その中枢を実感する旅となった。


【参 考】

イスラエル大使館公式サイト
http://tokyo.mfa.gov.il/


ミルトス
http://www.myrtos.co.jp/



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