新海 誠 監督作品「雲のむこう、約束の場所」より
©Makoto Shinkai / CoMix Wave


たったひとりで制作し、その完成度とオリジナリティで高い評価を得たデジタルアニメーション『ほしのこえ』から2年ー。2004年11月より、初の長編商業作品『雲のむこう、約束の場所』が全国の劇場で公開中の映像作家、新海誠さんは、今最も注目される映像作家のひとりだ。みずみずしい表現や心に迫るテーマ、これからの作品発信について、語っていただいた。
profile

新海 誠(しんかいまこと):映像作家

1973年長野県生まれ。大学で国文学を専攻。5年間のゲーム開発会社勤務を経て、映像作家として活躍中。2000年『彼女と彼女の猫』を発表。心の琴線に触れる作品性が高く評価された。2002年、フルデジタル作品『ほしのこえ』を発表、人気に火がつく。同作品で新世紀東京国際アニメフェア21「公募部門賞」、第6回文化庁メディア芸術祭「デジタルアート部門特別賞」、第8回AMDAWARD「Best Director賞」、  34回星雲賞「メディア部門・アート部門」など多数の賞を受賞。2003年NHK『みんなの歌』でオンエアされた『笑顔』(歌:岩崎宏美)のアニメーションを担当し、DVDシングル「みんなのうた『笑顔』」をコミックス・ウェーブより発売。2004年、全国の劇場で『雲のむこう、約束の場所』を公開。2005年2月17日、DVDが発売。

ゲーム制作会社に5年間勤め、辞める2年前から自分の作品を作り始めたそうですね。

会社では、アニメーションを作るのに必要な技術や、ものの考え方を学びました。Macとの出会いもその会社です。はじめてPhotoshopとタブレットにふれて、なんて面白いんだろうと、一気にグラフィックアプリケーションそのものにのめり込みました。僕が就職した95年は、Windows95、インターネット、発売されたばかりのプレステと、コンピュータをめぐる状況がどんどん面白くなっていた頃です。そんな世の中の趨勢を追いかける形で、DTPによる広告やウェブページを制作していました。そのうちゲームのオープニングが映像で作られるようになり、それでCGにも手が届くようになってきて。

自分たちには原画や動画の技術はないから、PhotoshopやAfterEffect等のソフトを使って、いかに受け手に届きやすい見せ方ができるかをいつも考えていました。そのうちに、電車とか自動販売機とか電柱とか、日常の風景が出てくる世界を映像にしたくなって。それで家に帰って作り始めたのがきっかけです。


新海 誠 監督作品
「雲のむこう、約束の場所」より
©Makoto Shinkai / CoMix Wave

結局、作るための動機も会社を通じて生まれてきたし、技術もそこで学んだわけですが、会社での業務は後輩にどうやって技術を伝えるかとか、この作品のこの部分は誰にやってもらおうかとか、クリエイティビティ以外の部分での気遣い等が多くなってきたんですよね。それで次第に自由な環境でやってみたいっていう気持ちが強くなってきて、「機材もあるし、ソフトも揃っているし、環境はあるんだから、一度全部自分でやってみよう」と決めました。こうした流れで作り上げた『ほしのこえ』は25分の作品ですが、静止画を多用するなど、ものすごく限定された演出の仕方をしています。劇場アニメでもテレビアニメでもない、もっとリミテッドなものを作るつもりで始めたので、無謀なこととも膨大な作業だとも思いませんでした。今振り返ると、ひたすら楽しかったような気がします。

最初からデジタルを道具として手にしたのは、新海さんの世代あたりからだと思いますが。

コンピュータと今使っているようなアプリケーションがなければ、アニメーションを表現の手段に選ぶことはなかったでしょうね。デジタルで作られたものは味気ないとか言われた時代はあったけれど、今は業界的にもこなれて、デジタルのメリットがすごく生かされている状態ではないでしょうか。ただ、道具の過渡期には、ずっとアナログでやってきた方はデジタルの特性や癖をとらえきれずに、どうしても似たような画面になっちゃうとか、そういうことはあったのだと思います。例えばアナログでの撮影では自然に生じていたゆがみとかブレとか、微妙なゆらぎみたいなものは、デジタルでは意図的に表現しない限り失われて、本当にカチッとしたものになっちゃいますから。でも道具の変化で失われることはどの分野でもあるし、メリットの方が比べものにならないくらい大きいですよね。

新海作品ではディテールへの目配りや台詞など、文学的な表現に舌を巻きますが、インスピレーションはどこから?

映画やアニメーションをそんなに多く見る方じゃないので、どこから材料をもってくるかといえば日常の生活であることが多いですね。『ほしのこえ』では携帯電話がキーツールになっていますが、あれはちょうど僕が携帯メールをやり始めた時期だったんですよ。『雲のむこう、約束の場所(以下『雲のむこう』と略)』の塔は、豊島区に焼却炉の白い煙突が立っていて、あれがもっと高かったらどうかなとか、そんな思いがきっかけでした。色々な人に文学的だと言っていただける言葉まわしは、村上春樹が好きだったのでその影響をストレートに受けていると思います。僕の作品に関して、庵野秀明さんとか過去のアニメ作品の影響を指摘する人は多くても、言葉遣いが村上春樹的だねという人はほとんどいないですけどね。僕としてはむしろ後者の影響が多大なのが実情なので、なんだか不思議な感じがします。


新海 誠 監督作品
「雲のむこう、約束の場所」より
©Makoto Shinkai / CoMix Wave

『ほしのこえ』も『雲のむこう』も、距離や孤独がテーマですね。

一貫して描きたかったのが二人の距離の問題です。『ほしのこえ』では距離をわかりやすくするために携帯を使ったし、『雲のむこう』では眠り続けている人とこっちに生活している人の間に時間的な距離をおきました。僕自身の興味の対象は、人と人との距離感みたいなものに集約されていると思います。『ほしのこえ』は「わたしは、ぼくは、ここにいるよ」っていう言葉で終わらせて、そのあとはお客さんに投げてしまった。彼女が生きてるのかも、本当に二人の気持ちが重なったのかもわからない。投げたのはそれ以上自分が考えられなかったからなんですけど、『雲のむこう』ではもっと自分なりに踏み込んで終わらせたかった。作品は、半ば自分自身のために作っているような感覚があるんですね。例えばすごく大事な人が近くにいても、寂しさを感じるっていう瞬間はどうしようもなくあったりする。そんな中でも何かをよりどころに生きていかなきゃいけないし、生きていこうっていう、そんな思いを表現したかったんです。

同時代で暮らす人間の生っぽさみたいなものを、もっとアニメーションの中ではっきりと見せていきたいんです。絵的なリアルさじゃなくて、息づかいとか、においとか、そういう人間の生身の部分をアニメーションでいかに描くかを考えていきたいですね。


新海誠ホームページ「Other voices-遠い声-」

http://www2. odn.ne.jp/ ~ccs50140/


『雲のむこう、約束の場所』オフィシャルサイト

http://www. kumonomukou. com/


DVD『雲のむこう、約束の場所』

本編91分+特典映像45分
4,935円(税込)
(株)コミックス・ウェーブ
2月17日発売

劇場アニメーション『雲のむこう、約束の場所』オリジナルサウンドトラック
全26曲(主題歌『きみのこえ』ロングバージョン収録) 2,400円(税込)
(株)コミックス・ウェーブ
2月3日発売

DVD『ほしのこえ』

本編25分+特典映像55分
6,090円(税込)
(株)コミックス・ウェーブ

その距離感は、新海さんの作品のキャラクターにも感じます。アニメーション作品ではキャラクターの占める比重が重く、受け手の思い入れの対象となる場合がほとんどですが、新海さんの作品はそうでもないですね。

アニメーションは、見る人がキャラクターに感情移入する構造とビジネスになっていますが、僕は制作中であっても、自分の横に今いる人物よりも、作中の人物に思い入れをもつことはできないんです。これは僕の作品の明らかな欠点でも長所でもあるでしょうけど、作っているのはあくまで人の手が描くものであって、実在する人物とは違うものだっていう感覚が常にあるんですね。だから例えば笑った表情であれば、まっとうに表現するなら絵の力を頼って正面なりバストアップで顔の表情を描くべきところを、ここで笑顔を描いても何か違うんじゃないかっていう思いで、ついカメラを引いちゃうんですね。そうやってロングショットにして肝心なところは声の演技に任せるとか、そういう演出も多用しているので、他の作品と違った感じを受けるのかもしれません。  だから商売として、キャラクター人気みたいなところには行きにくいと思います。それでもお客さんには、気持ちをこめて見てくれる方がいるんですよね。『ほしのこえ』では離ればなれになる二人を記号的に用意しただけで、それぞれのパーソナリティっていうのは一切考えてなかったんです。ところが公開してみたら、同人誌でノボルとミカコの話を描いたり、後日談を小説に書いたりした方がけっこういたんです。作品を出した後でお客さんの言葉を通じて、「あ、このキャラクターはこういう感じだったんだな」という風に自分の中で組み立てられていったんですよ。

劇場公開作品『雲のむこう』を作ってみて、いかがでしたか?

『ほしのこえ』は自主制作ではあるけれど、商業ルートにはのせないまでも売れる作品にしたいとは考えてました。コミケでもネット通販でもいいから販売して、制作期間の生活費くらいは回収したいなって。だから制作段階からお客さんの視線は意識してたんです。そういう意味では、今回商業作品を作るにあたって、あらためて身構えたということはなかったですね。

スタッフがぐんと増えたけれど、絵コンテまではひたすら一人で悩まないといけないのは前と全く同じだし、そこからはみんなが手伝ってくれるっていう感じでした。分業になって苦労したことも余りなかったですね。

海外からも注目されるジャパニメーションですが、反面、業界は労働集約型になっていて、労働力や技術のアジアへのアウトソーシングという現実があります。そういう中、日本の新しいアニメを作る旗手として、注目されていることについては?

アニメーションが労働集約型産業であるのはもう構造的にどうしようもなくて、僕のこの規模の作品でさえやはりそうなんですよ。ただやはり作品の根幹はテーマ、シナリオ、物語であって、「何を作るか」というところで価値が決まるのだと思います。

日本は50年間アニメを作ってきた国だし、それを見て育ってきている僕らの蓄積というのはすごく大きい。僕が『ほしのこえ』を作ることができたのは、やはり子どものころから無意識にアニメの文法を摂取しながら育ってきたからだと思いますし。僕のようなスタイルで、個人ベースでアニメや映像作品を発信していくことは、現在ではやりたければできる状況だと思います。映像制作の道具として現在のパソコンは十分な性能だし、流通の問題もネットで通販をやればいいわけだからクリアされてきていますよね。だから作りたいっていう人には、言い訳がしづらい状況になってきているんじゃないでしょうか。僕自身はこうした多様性が広がっていけばいいなと思います。

新海さんの場合、漫画家やミュージシャンのようなスタンスでアニメーションを作り始めたのが面白いですね。

漫画家とアシスタント、あるいはアーティストが自分のアルバムを出してそれで生活していくとか、そういうわかりやすい形というのは、ものを作る人間にとってひとつの理想だと思うんですね。僕はアニメーション業界で働いてきたわけじゃないせいか、製作委員会ができるくらいの大規模な作品になると、それが商業的に成功してもしなくても、最終的に自分がやったことに対しての対価が何なのかがうまく実感できないような気がして。だから映像を作って売るにあたっても、DVDが売れてそのうちの何%が自分にきますよっていう形にしたかったんですよね。で、コミックス・ウェーブとそういうやり方でやってみようっていうことになって。僕にとっては、理想に近い環境です。

30分弱くらいの短い作品であれば、数人のスタッフでできちゃうと思うんですね。それぞれがわかりやすくクリエイティビティを発揮して、印税によってやったことが報われるような、自分たちはそういうやり方でやっていきたいなと。そのためには、よくも悪くも作家性というか、名前で売れるような作品にしていかなければならないっていうのは感じます。新海の作った作品だったら欲しいと思ってもらえるような、そういう場所を目指していきたいと思います。




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