世界最大のエメラルド産地、南米コロンビアに“エメラルド王”と呼ばれる日本人がいる。早田英志さんだ。彼は何故コロンビアで“エメラルド王”となったのか。そして彼の眼に映る、現在の日本とは。自身の半生を映画化した『エメラルド・カウボーイ』のプロモーションで一時帰国された早田さんにお話を伺った。
早田英志さん(コロンビア・エメラルド・センター 社長)![]() 1940年10月、埼玉県熊谷市生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)農村経済学科卒業。ノースウエスト航空、パンアメリカン航空でラインメカニックとして勤務。30歳を前に、中米のコスタリカ国立大学医学部に留学。その後、ラテンアメリカに興味を持ち、現地でレストラン・コーヒー園・不動産業などの経営を経て、エメラルド原石業を始める。現在では、エメラルドの鉱山、輸出会社、1000人を擁する警備会社を経営する「コロンビア・エメラルド・センター」の社長として、コロンビアのエメラルド輸出高の3割以上を扱う。2001年、映画『エメラルド・カウボーイ』を製作。2003年より、アメリカ、コロンビア、日本で公開。また、絶版になっていた著書に加筆し、『エメラルド・カウボーイ』(太田出版)として刊行を予定。 |
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「当時のコロンビアは“緑の戦争”と呼ばれる抗争のさなか。麻薬組織も絡んだエメラルド鉱山利権争いで、年間5000人くらいの人が死んでいました」
早田さんは日本の大学を卒業後、渡米して航空会社のメカニックとして勤務。その後、コスタリカの国立大学で医学を学び、コーヒー園などを経営していた。新聞で“緑の戦争”を知ったのは1974年、30歳を少し過ぎた頃だった。
「まるでアメリカ開拓時代の西部劇みたいだと思った。スリル満点の世界。そこに自己とビジネス、両面の可能性を見たわけです。僕には先進国の複雑に組織化された社会はつまらなかった。オリジナルな世界で自然な生き方をするのが性にあっていると思ったんです」
こうして左翼ゲリラの潜む危険地帯である、コロンビアのエメラルド鉱山周辺に住み着き、一介のエメラルド原石バイヤーから身を起こした早田さん。当初から成功の目算はあったのだろうか。
「成功させなきゃいけないと思っていました。何故ならエメラルドの鉱山主はその地方の有力者なんです。その地区一帯の人間を取りまとめて仕事の供給をするから、皆から非常に感謝され、尊敬される。そういう部族長になろうと思っていました」
30年後の現在、早田さんはいくつかの鉱山と、輸出会社、警備会社を経営し、コロンビアのエメラルド輸出高の3割以上を手がけている。自らが“エメラルド王”に上りつめた理由を、早田さんはこう語る。
「それは僕が、高校時代、喧嘩に明け暮れて3回も停学処分をくらったことに象徴される“番長”だからですよ(笑)。“番長”の根性を持ちながら、コロンビア人とハートのつきあいをしてきた。男の三種の機能、それは“頭”と“ハート”と“喧嘩の技術”。最初は1人で“原石買い”をやっていたのが、取り引きする金額が増えるに従って3人、5人と仲間が増えていって。そのうち首都のボゴタにオフィスを構えて輸出をやろうじゃないか、問屋をやろうじゃないか、となった。そして他の業者に潰されない地位を獲得するまでに30年かかったわけです」
エメラルド・ビジネスには多くのリスクがつきまとう。
「日本のお客さんは、ほとんど僕のところへくる。それは何故かと言うと、お客さんが悪い石を掴まされたり、何か問題が起こった時に、僕が解決してあげるから。エメラルドにはお客さんが自国の鑑定所で調べて初めて判るような、精巧な偽物があるんです。自分のお客さんが被害にあったら、犯人は“ぶったたき”ですよ。コロンビアの山の中、ニューヨーク、ヨーロッパ、どこへ逃げても捕まえる。“ハヤタのオフィスはトラブル・シュ−ティングで有名”、世界中の宝石商にそう言われています。だからコロンビアには敵が多いんです」
コロンビアにはエメラルドと並んで、国内生産高を調節するだけで世界価格を操作できる、もう1つの輸出品がある。それはコカインだ。早田さんは、コロンビアのエメラルド・ビジネスはコカインと非常に近い位置にあると言う。
「エメラルドを輸出した代金に、コカイン・ドルの送金を一緒に受け付けてくれないかと言う業者がたくさんいます。以前は1割5分でしたが、今は3割出してもいいと言ってくる。でも僕はいっさい受けない。コカインは違法ですから。そこのところは潔癖です。現在、鉱山関係者の間で、コカインの取り引きを閉め出す話し合いを行っているところです」
もっとも大きなリスクは命にまつわるものだ。
「石を売り買いするリスクと共に、巷の動きに対するリスクがあります。そのいい例が、これまで僕の相棒が15人くらいいましたが、その半分が殺られました。コロンビアでは年間5000人が抗争で死にます。これは戦時下のイラクやボスニア・ヘルツェゴビナより、はるかに多い人数です。左翼ゲリラや、パラミリタール(民兵)が組織化したパラミリタリー、拉致・強盗専門集団などが存在し、ゲリラによる農民の虐殺も起こっています。また都市部では、拉致・誘拐が毎年2000件以上あります」
早田さん自身も強盗・恐喝に8回遭い、娘さんの誘拐未遂事件もあった。鉱山がゲリラに襲撃されることもある。その防衛の為に数十人、時には数百人の防衛隊を組織する。また、早田さんはピストルを片時も手離すことがない。そして過去に4度、その引き金を引いたと言う。
エメラルド・カウボーイ | |||||||
早田さんが製作総指揮・監督・脚本・出演の4役をこなし、自身の半生を、自己資金で映画化したアクション・ドキュメタリー。当初、予定していたハリウッドの監督と俳優が撮影直前に誘拐を恐れて帰国。急遽、早田さんが監督をつとめ、後半部分の自分の役も演じることとなった。ゲリラの潜伏する鉱山地域など、そのほとんどを実際の現場で撮影し、さらに4、5名のプロの俳優を除いて、すべて実際の事件に関わった当事者が自分の役で出演。盗賊団まで経験者を募って出したリアル感が、コロンビアの今を強烈に印象づけている。アメリカ25都市で公開。コロンビアでは全土公開され、ハリウッド映画を抑えて大ヒットを記録した。日本では今後、東京・アップリンクX、広島・サロンシネマ、岡山・シネマクレール、札幌・蠍座、熊本・八代市厚生会館、愛知・名古屋シネマスコーレ他で順次上映予定。バーン・ピクチャーズ製作。アップリンク+アンデス・アート・フィルムズ配給作品。 |
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様々なリスクに囲まれ半生を送った早田さんの眼に、現在の日本はどのように映るのだろう。犯罪に対するリスク・マネジメントという観点から伺った。
「日本が崩壊していく危機に日本人がまったく気付いていない。それはすごく感じます。日本は外国人犯罪者のいいマーケットになっている。それに対して心配はするけれど、具体的な処置の方法がわかっていない。まず処罰が軽過ぎます。たとえば多くの外国人が、日本の刑務所は自分達の住んでいる木賃宿よりはるかに待遇がいいと言う。おそらく10年後には今の10倍の犯罪が起こるでしょう。そうすると今のデトロイトを凌ぐ犯罪都市です。日本には、振込み詐欺のような人々の寛容さに付け込む犯罪が多くありますが、寛容さとリスクは表裏一体です。コロンビアでは、皆が“周りの人間は皆悪い”と思っているからそんな犯罪は起こりようがない。日本もそういうところから始めるようになりますよ」
そして日本人の“人の良さ”が利用されるのは、犯罪にとどまらないと言う。
「こんなに交通機関の料金や物価が高い国、手当てもなく夜遅くまで人々が残業する国はないですよ。行政や企業間の癒着や搾取を許して、いつも庶民が犠牲になっている。日本人の“人の良さ”が徹底的に利用されてしまう。同じ横並び、同じ行動パターンのモノカルチャーで、日本人は自分に選択権がないかのように仕付けられているんですね。そういうことが自殺者の増える原因の一つにもなっていると思うんです。コロンビアでは毎年5000人以上が抗争で死にますが、日本では毎年3万人以上が自らの手で自らを殺している。この国には革命が必要ですよ」
30数年前、日本の社会に適応することを拒み、自分がよりよく生きられる場所を探して旅立った早田さんは言う。
「僕の第一の母国である日本で、若い人やおじさんに言いたい。コロンビアでこういう生き方をしている日本人がいるんだから、間違っても集団自殺なんかしちゃダメだよ、失業したくらいで死んだらダメだよ、と。僕はあなた方が簡単に捨てる命を何としても守り抜いて生きている。日本で夢が見られないなら、よその国へ行けばいいんです」
![]() 早田さんは3つの国籍をもつ。出生国の日本、誘拐の恐れがあるため家族が移り住むアメリカ、そして「僕の個性」と語るコロンビアだ。 |
「“もう充分、財産はあるでしょう。それなのに何故、危険な場所へ行くの?”といつも娘に言われます。でも僕は続けますよ。お金をつくったから逃げ出すなんてできない。そんなの偽物ですよ。キューバ革命の後、さらなるラテンアメリカの解放を目指し、ボリビアでゲリラ活動を続けたチェ・ゲバラ。彼は冒険家だから、その先に死があるとわかっていても行くんです。僕も冒険家であり、革命家でありたい。ささやかではありますが、自分の住む世界を改革したい。1回だけしかない命を賭して自分の命を繋いでいく。そうして命を輝かせる。それが男のロマンです」