ネパールの霧の収穫。大きなネットで霧粒を捕らえ、集めた水を重力パイプで近くの溜池に送り込む。「私が出会った中でも、最もハーモニアスで、環境に優しいシステム」とスタートン氏。気候条件の合うネパールとチリで可能だという。水瓶を抱える老婆の後ろに見えるのは霧の収穫をするネット。この霧の収穫が300人の小さな村に学校を作った(写真右)。 |
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安全な水の確保――
それは多くの発展途上国にとっては死活問題である。
95年の統計では水不足に悩む人の数は4.4億人。
2025年までにその数は14億にまで上ると推測される。
水因性疾患など非衛生的な水のために死亡する子供の数は、
15秒に1人という数字もある。
「この切迫した悲惨な現状を多くの人に知らせたい」と、
水問題に取り組んでいる報道写真家がいる。
ブレント・スタートン氏だ。
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水問題に取り組む報道写真家
学生時代に南アフリカの新聞記者として紛争地を取材。同行の写真家がいなかったので、自分で写真を撮り始めたのが報道写真家になるきっかけ。その後、ロイターなどを経て、現在ゲッティ・イメージズに所属。報道写真界の最高権威を誇るワールド・プレス・フォト賞の2003年ポートレート部門で1位と2位を受賞。その他、多くの受賞歴がある。CNN、ニューズウィーク誌、NYタイムス紙など世界的メディアで活躍。
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見上げるような背丈だが、物腰は柔らかく丁寧で、威圧感はない。日焼けしたハンサムな顔にブロンドの無精ひげ。35歳の年齢よりも年上に見える。
「この国は選択が多くて困ります」。スタートン氏は、コーヒーのミルクの選択に戸惑いながら苦笑する。1年の大半を発展途上国や紛争地域で過ごす南アフリカ出身の彼にとって、アメリカの便利さは過剰な物質主義にしか映らないようだ。
コーヒーのカップを置くと、彼は静かな口調で水問題に関心を持つようになったきっかけを語ってくれた。
「さまざまな紛争地域を取材し、実際の紛争よりも難民キャンプでより多くの人が死んでいるのを目にしました。その多くはコレラなど非衛生な水が原因です。この問題にもっと注目をすべきだということに気づき、発展途上国へ取材に行ったときは、水問題がどのように地域に影響しているのかを調べてみることにしました」
社会問題や紛争地域を取材してきたスタートン氏にとって、水問題の何にそれほど引きつけられたのだろうか。
「なによりも死者の数の多さにまず驚かされた」と彼は言う。「毎年マラリアだけでも500万人の子供が死亡しています。アフリカだけでも2.7億の人々が給水設備や下水道処理のない場所での生活を余儀なくされ、安全な飲料水を確保できずにいます」
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「アフリカでもアジアでも、水汲みは女性の役割です。1日の大半をそのために費やさなければなりません。1日22キロも歩く女性もいます。それがどういうことかというと、学校へ行けない、村の政治に参加できない、自分のビジネスを行なうチャンスを持てないということであり、女性は昔ながらの性的役割から脱出できずにいます。水へのアクセスという先進国の社会では簡単なことが、数億人という数多くの女性の生活向上を阻止しているという事実に非常に驚きました」
井戸の設置により水汲みから解放された女性が村の社会活動に参加し、教師などの仕事に就く。「生活がまったく変わって感謝している」。彼はそんな女性たちの声を聞く。
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70年代、NGOの援助でバングラデシュに何千という井戸が設置されたが、90年代に入り、井戸水がヒ素に汚染されていることが判明。5000万人以上の人々に中毒症状を与え、歴史上最悪の大量中毒と言われている。
「驚いたことに、この問題は今も続いています。他の選択がないので、今でも人々はこの汚染された水を飲み続けているのです」
「これは教育問題でもある」と彼は言う。汚染された飲料水の危険さが住人に十分に理解されていないのだ。「規模が大きいだけに、なかなか正確な情報が行き渡りません」
ギニア共和国では「ギニアワーム」を取材した。汚水から体に入った卵が体内で孵化し、18ヵ月後に睾丸やくるぶし、乳首を破り、這い出てくる、2メートル近くもの長さになる寄生虫だ。ほとんどの場合、ちょっとした配慮で予防できる。「水を飲む前に沸騰するよう学校でも教えていますが、火をおこす燃料に乏しいこともあり、徹底するのは難しいようです」
水問題の要因となるのは、貧困や教育の欠如だけではない。
「地元政府の怠慢と腐敗、それに企業や政府による水源の独占なども大きな問題です。水は次世代の油と言われるほどに貴重であり、多くの場合、利権が絡んでくるのです」
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これほど多くの死者を出しながらも、水問題に対する世間の関心は低い。
「地震や津波には多くの関心と援助が集まります。資金があれば、被害地は復興でき、寄付国にとっては援助もしやすいのでしょう。水問題は、昔から存在する解決できない問題だと見なされがちです。病気は目に見えないものとの闘いで、そういったものに対面した時、人は望みがないとあきらめてしまいます。私がエイズ問題に取り組んでいた時も多くがそうでした。問題が百万人単位となると、『大きすぎて手に負えない』となり、反応しなくなります。だからこそ、先進国の政府がもっと積極的に関わり、真剣に取り組まなければならない問題なのです」
スタートン氏は、1年の半分を国連やNGOでのボランティア活動に過ごす。「私にできることは、写真を撮ることです。そして、その写真を政治的に活動している人たちや団体に提供し、正しい目的に利用してもらうことです」
また、彼は一般客やメディア業界を対象に解説を交えた写真上映会も行なう。
「反響は大きい。上映後に多くの人が、心を動かされたと話しかけてくれます。たくさんの時間を先進国の文明から離れて過ごすので、ニューヨークなどの都会でこうした反応にあうと、自分のやっていることを再確認できるいい機会になります」
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スタートン氏の被写体は、ほとんどが悲惨な状況にある。レンズを向ける時、彼は何を思うのだろうか。「被写体と一緒になり、感じることです。何も感じなかったらツーリストです。そんな人には、『写真は撮るな』と言いたい。そこにいるべきではありません。もし、人の苦しみを目撃しているのであれば、それは報道写真家としての意思の強さ、意図の純粋さが試されているのです。自分がどうしてそこにいるのか、何をしているのか、何が目的なのかを明確に把握していなければなりません。仕事を通じて、たくさんの驚くほど素晴らしい人に出会います。彼らに出会えたということは、私にとって名誉なことなのです」
「最も強く感じることを私はやる」という彼は、他の報道写真家にも厳しい注文をするという。
「所属する報道機関の大小に関わらず、責任を持つこと、そして、その責任を果たすことが重要です。私たちの使命は、どんなに恐ろしい現実でも目を開いてよく見ること、感じること、そして、それを写真に反映することです。もし、うまくできないのなら、それは感じ方が足らないからです。この点に関しては、私はとても厳しい。苦しんでいる人を対象にした報道写真の世界で、手抜きの仕事は我慢ができない。苦しんでいる悲惨な人がいたら、写真を撮って、私の心を動かしてみろと言いたい。写真が感情的な反響を生み出すことができれば、いい仕事をしたと言えます。それができなかったら、もっと懸命にトライしなければなりません。苦しんでいる被写体が、それを要求しているからです」
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劇的なライティングを効果的に利用した彼の作品は、一般のポートレートとは一線を画す。
「報道写真の世界では才能ある写真家が増え、新しい視点も加わり、10年前とは違ってきています。しかし、人間ドラマを撮るといっても、戦争、悲劇的な事故、貧困、病気と、人類の歴史は同じことの繰り返しで、何も新しいことはありません。写真家は、それら従来の問題に新しい視点を加え、世間の関心を引きつける方法を常に模索していかなければなりません。水問題という、地味で色気のない問題に取りかかるにおいて、私は独自のスタイルを打ち立て、前からある題材でも新しいタイプの写真に見えるような手法を考えださなければなりませんでした」
写真業界では、ドキュメンタリー・ポートレートが現在ブームだ。スタートン氏は、独自の撮影手法によりその最先端に位置する。
取材中の悲惨な体験が心に刻まれ、心的外傷後ストレス障害に悩む報道写真家は多い。スタートン氏も、休みをとり、家族に会ったり、他の好きなことをしたりするようアドバイスされるそうだ。「なるべく心掛けてはいるのですが」と言うが、このインタビューが終わるやいなや、ローマ法王葬儀取材のためにバチカンへと飛び立って行った。
アパルトヘイトの廃止、マンデラ元大統領による組織改革などを経て、政治的、経済的に大きく揺れ動く南アフリカ。その中で育った彼にとって、社会の不公正を改善することは不可能ではないと感じるのではなかろうか。学生時代、ズールー族紛争を取材して以来、肌の色とは無関係に同じアフリカ人として、彼らの苦しみを分かち合う写真を撮り続けてきた。現在、彼のレンズはアフリカを超え、世界に向けられている。