「“it”と呼ばれた子」が切り拓いたもの

[ 児童虐待を乗り越え、生きる力を与えて ]


デイヴさんのプロフィールには、"Samaritan(サマリタン)"とある。「困っている人を助ける人」の意味だ。逆境とはどんなものか。そこから立ち直るには何が必要かを、彼ほどよく知る人はいない。日本でも400万部が売れた『"It"(それ)と呼ばれた子』シリーズには、デイヴさんの実体験が綴られている。実母による凄惨な虐待を受けた幼年期。救出後、里親のもとで過ごしながらトラウマを乗り越えようともがく少年期。ハンデをものともせず努力を重ねて空軍に入隊し、結婚して一児の父親となるも、結婚生活や社会生活の困難に遭遇する青年期。その不屈の魂の記録は、世界中の人々に生きる勇気を与えてきた。来日したデイヴ・ペルザーさんに、その希有な人生から学んだことを教えていただいた。


作家・活動家 | デイヴ・ペルザーさん | Dave Pelzer

カリフォルニア州デイリーシティ生まれ。「州史上最悪」といわれた児童虐待を生きのび、その後、米空軍に入隊。一方で自らの経験を活かして各地の教護院や青年援助プログラムで活動を続け、大きく社会に貢献したとして米国内で高い評価を得る。自らの体験を告白した『"It"(それ)と呼ばれた子』シリーズは、各国でベストセラーとなった。
現在は児童虐待のみならず、あらゆる逆境から立ち直り幸せな人生を送ることをテーマに、精力的に講演活動を行なう。著作や講演を通じて、特に悩み多き若年層に向けて、強く生き抜く方法を優しく語りかけている。
2005 National Jefferson Award/Greatest Public Service Benefiting the Disadvantaged(2005年度米国ジェファソン賞/恵まれない人たちのための社会奉仕部門)など、数々の賞を受賞。


"It"(それ)と呼ばれた子

幼年期

デイヴ・ペルザー | ヴィレッジブックス | 683円
ガスコンロで焼かれる。塩酸入り洗剤で掃除をさせられる。赤ん坊の汚物を食べさせられる。―ついには“It”(それ)と呼ばれ、食べ物も与えられず、奴隷のように働かされる。身の回りの世話はおろか、暴力をふるわれ、命の危険にさらされ、かばってくれた父親も姿を消してしまう―「米国カリフォルニア州史上最悪」といわれた、実母による虐待を生き抜いた著者が、幼児期のトラウマを乗り越えて自らを綴った貴重な真実の記録。

少年期


青春編


指南編


完結編


幼年期|コミック版


原作・デイヴ・ペルザー/画・羽央 | ヴィレッジブックス | 693円

デイヴさんは、幾度か命をおとしかけている。精神を病んだ実母は、子どもたちの中から4歳のデイヴさんをターゲットにすえると虐待を始め、奴隷のように働かせた。ナイフで刺され、コンロで焼かれるなど、年月とともに虐待は凄惨さを増していった。

憎しみに破壊された
母が教えてくれたこと

_あなたは子どもながらに、生きることをあきらめませんでしたね。

デイヴ・ペルザー(以下DP):母が私にしてくれたことがあるとすれば、自分が生きたいということをはっきり自覚させてくれたことです。生きている間には苦しいことが起きますが、決してそれが終わりではありません。病気であれ貧困であれ、何と闘っていようと、大事なのは自分自身で闘うことと、それを望む意志の強さです。分が悪くとも、結果が見えなくともあきらめるな。それが私のメッセージです。


_お母さんのことをどう思っていますか?

DP:心から許しています。母もまた実母に虐待されて育ちました。児童虐待は、後天的に習得された行為です。動物を蹴り続ければ、しまいには死んでしまうか、あるいは噛みつくようになる。母は他者に噛みつく人間になったのです。母が教えてくれたことは、誰も憎んではいけないということです。母は、若いころから家族や友人を憎んでいました。憎しみがどうやって始まるかを見てみると、「あなたは私を傷つけるから、自分を守らなければならない。だから武装した上であなたに接する」というメカニズムがあります。他人に威張ったり、他人を遠ざけたり、いじめる人は、自分も誰かに痛めつけられてきたのです。また母の時代は、状況を変えようにも女性に選択肢の少ない時代でもありました。亡くなったときは「これで母も安らかに眠れる」という思いでした。


_お母さんと自分の過去をどうやって許せたのですか?

DP:母がだんだんひどい人間に変わっていくのを見て、子どもでしたが自分の置かれた状況をよく理解していました。もちろん母を憎みもしましたが、憎しみが母を破壊したのを見ていたので、自分は母のようになってはいけないと思っていたのです。息子にとってよい父親になることは、私の人生最大の目標です。

 今日の憎しみはエスカレートして、いつか癌のように自分を蝕みます。例えば誰かと喧嘩をして怒ったまま床につくと、翌朝は怒りが増しています。そしてもっとひどいことを言い続けたり、無視し続けたりすることになります。許すことは強い意志を持つことであり、時間を要します。でも許そうと決意すると、それまでとは違う角度から物事を見られるようになります。私たちには憎しみという安易な道をとるか、許しという長く努力を要する道をとるか、ふたつの選択肢があります。許すとき、私たちは自分を縛る過去の鎖を断ち切って、自らの人生を選ぶことができるのです。


DaveでもHeでもなく、It(それ)。そう呼ばれたデイヴさんを、兄弟たちはもちろん、消防隊員だった父親も助けることはできなかった。その彼を救出したのは、小学校の先生たちである。おびただしい身体の傷を見かねた教師たちと警察の手によって母親から解放されたとき、デイヴさんは12歳だった。

先生たちの勇気に
感謝をこめて書いた本


_安全な環境を得たとき、次に欲しかったものは何ですか?

DP:自尊心です。十代のころは、もっと背が高かったらとか、スポーツができたらとか、誰でも自分の理想と現実のギャップに悩むものです。私の場合、自分の内面が強いことは知っていましたが、例えば体もやせっぽちで、言語能力も遅れるなど、基本的なことが未発達でした。自分の強い内面と、さまざまな面でひ弱だった外面を一致させたいと願いました。


_本を書いたのは、救出してくれた先生方のためだったそうですね。

DP:お世話になった人たちに感謝を伝えたかったのです。それで小冊子を印刷して、救出20周年の記念日に、敬意を込めて先生たちに贈呈しました。社会福祉指導員、教師、里親などと児童虐待防止活動をしていましたから、その小冊子が人々に回し読みされて、「どこでもらえるの?」ときかれるようになりました。1995年に本として出版されましたが、こんな風に売れるとは思ってもいませんでした。当初は「あの虐待の本ね」という風に、出版業界ではバカにされたのです。それに「本は読んでないが、親が子どもを虐待するなどという作り話をするとは、あなたはひどい人だ」と知らない人にののしられたりもしました。結果的に本が売れたことで、児童虐待の認識の向上に貢献できてうれしく思っています。でもこの子ども時代を乗り切れば、自分は大丈夫だとわかっていたんです。癌を克服できたなら、風邪をひいても大丈夫だと思えるのと同じです。

 ひどい状況を経験すると、当たり前の単純なことが、非常にありがたく思えるものです。自分にはそれがしみ込んでいると思います。


_自分に問題があることに気づかない人、問題を後回しにする人が多いのではないでしょうか?

DP:ほとんどの場合、誰もが自分に問題があることを知っていると思います。ただ、それをきちんと認識せず、そんなことには影響されないと思い込んでいる。ベルトがきついと気づいても、アイスクリームを食べるのをやめないようなものです。ゴミやがらくたが出るたびに、家の一部屋に放り込んでいったとしたら、やがてはそこから何も取り出せなくなるでしょう。心理的にも、私たちは同じことをするんです。だからたまには掃除をして、悪いものを素直に吐き出さないといけない。

 それからアメリカでは残念なことに、安易な解決法を求める風潮があります。1錠の薬で20キロやせたいとか、ジムに行けば5秒で筋肉をつけたいとか、非現実的な話です。問題にぶつかると人をあてにしたり、両親や政府が思い通りに解決してくれたりすることを期待する。しかしすべては自分次第ですし、行動しなければならないのは自分なのです。


近年、日本でも児童虐待の報告件数が増加しており、統計によればその半数が実母による虐待だ。特に若い母親による幼児虐待のケースが顕著だという。

助けを求めるという勇気

_児童虐待を、なくすことはできるでしょうか?

DP:児童虐待はあらゆる病気と同じように撲滅できる。私はそう考えています。何世代か前までは、児童虐待が話題に上ることすらありませんでした。問題を胸にしまったまま家庭生活を続けていた状況が、徐々に変わってきたのです。ですから問題認識を高め、教育と予防を図るために、一歩一歩進んでいくしかありません。

 日本社会では、こうした問題を家族の恥とみなして隠す傾向があるかもしれません。でも若いお母さんが、自分ではどうしようもできない問題を抱えてしまったら、「夫は出ていってしまった。私は未熟で、子どもといると気が狂いそう。助けてほしい」と声を上げるべきです。助けを求めることこそが、勇気ある行動なのです。

逆境にある
若者たちのために

日本での講演会でも、ロビン・ウィリアムスにちょっと似た話術と笑顔で、聴衆をひきつけたデイヴさん。その著作を読んだ人なら、「あんなひどい目にあっても、こんなに前向きな人間に成長することが可能なのか?」と目を見張らずにはいられないだろう。最後に、デイヴさんは自らの使命について、謙虚にこう語った。

「私はごく普通の人間です。私にしてみれば非凡だと言われるほうが驚きで、普通の人の中に立派な人はたくさんいます。毎日働いて子どもを育てているシングルマザーを称賛する人はいません。私の兄は27年も警官を務めている立派な人ですが、誰も取材に来ません。世の中のリーダーの多くは、自らそれを目指したわけではなく、『この人なら世の中をよくできる』とまわりが思ったからそうなったのです。私に言わせると、そういう立場に立ったならそれが自分の役目になるのです。だからといって、自分が非凡な人間になるわけではありません」


デイヴさんは、世界中から毎月4000〜6000通の手紙を受け取るという。そしてその99%に返信している。自分で書けない分には、スタッフが「デイヴだったらこう言うと思うよ」と返事を書く。「学校や家でつらいことがあった日に、子どもが“あ、手紙の返事が来てる!”と喜ぶ様子が想像できるから」と言うデイヴさんの目は、“逆境に置かれた若者のためにできるだけのことをする”という、優しさと決意をたたえていた。





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