地面の割れ目や岩間から蒸気が立ちのぼり、硫黄の臭気が漂う。
むきだしの岩がつくりだす殺伐とした風景は、まさに地獄めぐり。

本州最北の地に死霊が集う霊山あり。
862年に開山された恐山だ。
年に一度開かれる「恐山大祭」には
亡き者の霊を供養し、
霊と対面するために全国から
参拝者が訪れる。
「ニッポン奇祭めぐり」特別編
今回の目的地は、
本州最北の地・下北半島の恐山。
はたしてかの地は、地獄か、極楽か?


絶景に見とれ、
何度も渡る「三途の川」

早朝6時。「三途の川」に架かる太鼓橋から宇曽利湖を眺める。

7月22日に催された上山式の模様。僧侶、信者などが同行する行列は、大祭の重要な儀式。 太鼓橋のたもとの石塔には確かに「三途川」と刻んであった。 その傍らに2体の地蔵が並んでいた。

「人が死ねばお山(恐山)さ行ぐ」。下北地方には、そういう民間信仰が残っている。

早朝6時。無数の地蔵が道端に佇む道路をクルマで走れば、やがて「この世」と「あの世」をつなぐ太鼓橋の朱色の欄干が見えてきた。

太鼓橋の下を流れるのは、亡くなると冥土に行くために渡るとされている「三途の川」だ。死が橋を渡ってやってきて、人を拉致していくのか、あるいは人間が死の世界へ歩いていくのか、定かではないが、三途の川は確かに恐山に存在した。

罪深い者は、この橋が針の山に見えて、渡れないとされている。しかし罪が深かろうが、川が浅かろうが、生きているうちに三途の川を渡ることのできるめったにないチャンス。

宇曽利湖とその背景にひろがる薄い雲をまとった神々しい山に見とれながら、欲張って太鼓橋を三往復した。はたして無事に「この世」に生還できるであろうか?



「恐山」予備知識

1.恐山の歴史

天台宗の慈覚大師円仁が唐で修行中、夢に高僧があらわれ、「東方へ30日の行程の場所に霊山がある。そこに地蔵尊を刻し、その地に仏道をひろめよ」と告げた。帰国した慈覚大師が、道なき道を切り開いてこの地にたどり着き、862年に開山されたと伝えられている。本尊は延命地蔵菩薩。管理(本坊)は曹洞宗円通寺。寺名は恐山菩提寺。比叡山、高野山とをあわせて日本三大霊山と呼ばれている。1972年に指定された「下北半島国定公園」に位置する。

2.恐山の名前の由来

「おそれ」はアイヌ語の「ウソリ」や「ウッショロ」(湾や入江の意味)が訛ったとされる説や、慈覚大師が湖を「宇曽利(うそり)湖」と命名し、それが「うそれ」に変わり、「恐山」に転じたという説などがある。

3.地蔵菩薩と地蔵信仰

地蔵菩薩は、人間のさまざまな苦しみを救ってくれる仏。「地」は大地や国を、「蔵」は生命を産み、育む母胎を表している。下北地方には古くから大漁や五穀豊穣、無病息災といった現世利益を願う「地蔵講」の習わしがあり、当地は庶民の地蔵信仰が厚い地域である。

3.イタコの口寄せ

目の不自由な女性が厳しい修行を積み、特殊な能力を身につけるとされている。亡き者の霊を呼び出し、媒介となって語る「口寄せ」は、「恐山大祭」と「恐山秋詣り」の年2回、恐山の境内で行なわれる。料金の目安は3,000円。時間は約15〜20分。これまで後継者がなかったが、近年若いイタコが登場している。
あちこちで見かけた手ぬぐいを被った地蔵の姿。

4.二大大祭「恐山大祭」と「恐山秋詣り」

毎年7月20日〜24日に開かれるのが「恐山大祭」。古式ゆかしき上山式や法要が行なわれる。「恐山秋詣り」は、毎年体育の日を最終日とする土、日、月曜に開かれる。

地獄を再現したような
地獄めぐりへ

山門の手前に佇む地蔵のまわりには、 原色やパステルカラーの風車が 献花のように供えてあった。

恐山総門で入山料を払って、いざ入山。年に一度の大祭とあって、早朝にもかかわらず、すでにたくさんの参拝者と観光客が訪れていた。そのせいか、霊が集合しているという不気味さは感じられない。

総門をくぐれば、左手に亡き者の霊をこの世に呼び戻すとされる、イタコの口寄せが行なわれるコーナーが見えた。山門を抜けると、正面に本尊安置地蔵堂。

その左手には、むきだしの岩肌の山。あちこちの硫黄孔から蒸気が立ちのぼり、激しい硫黄臭が立ち込める。恐山一帯は休火山地帯だ。草木が生えない荒涼とした岩場は殺伐としている。ところどころに焼けただれたように黒く変色した岩が鎮座している。

岩場に開かれた坂道を進路に沿って歩けば、もはや地獄。いや、多くの人が「地獄ってこんな景色かも」と思い描くような景色がひろがっていた。地獄の演出に加担するかのようにカラスが空を舞っていた。



下北半島国定公園 恐山

正面に本尊安置地蔵堂、左に地獄の景色がひろがる。
■ 開山期間:5月1日〜10月31日
■ 入山料:個人500円、小・中学生200円 団体1人400円(30名以上)
■ 開門時間:午前6時〜午後6時(大祭、秋詣りは別設)
■ 宿坊 吉祥閣:宿泊料1人12,000円(1泊2食付)
■ アクセス:JR利用:八戸駅〜東北本線野辺地駅〜JR大湊線下北駅下車〜下北交通バスで45分 
■ むつ市観光案内
http://www.mutsucci.or.jp/kanko/kankotop.htm

手ぬぐいとわらじと賽銭は、 あの世に旅立つための三点セット。 供養のため木や枝に手ぬぐいとわらじが 結びつけられている。
「家から持ってくるのは、お赤飯、煮しめ、タオル、わらぞうり。 食べ物は、私が食べられるくらいの量しか持ってきません」と 話してくれた青森の女性。

早世した人の供養が行なわれる本堂。生前に見ることのできなかった花嫁姿を思い、たくさんの花嫁人形や衣装が供えられている。

「東向きのこの場所で石を積んでお参りしています」 と語る地元大畑町から来た中井さん。 イタコの口寄せで亡きご主人を呼び出してもらい、 「子供が3人いて、若いときは苦労をかけたね」と話しかけられたという。 「よく当たるイタコさんがいて、おじいさん(ご主人)が35年前に 着ていた洋服まで当たったよ」と話してくれた。 あちこちに小石が積まれた「賽の河原」。背後にひろがるのが極楽浜。 水子供養本尊を囲む池のまわりでは、風車がカラカラとまわっていた。

イタコが仏さまに代わり、
話をしてくれる

地獄めぐりの岩場の坂道を歩くと、木々の枝に手ぬぐいが巻かれ、ぞうりがぶら下がる森に入った。

そこで、故人の霊にお菓子や団子を供えて供養している青森の女性に話を聞いた。8月にご主人の三回忌を迎えたという。以下は彼女の談話である。

私はもう40年も恐山にお参りに来ているよ。昔は観光客も来ない、寂しくて怖い場所だった。仏さまがいるところだから「子供は連れてくる場所じゃない」と言われたね。恐山に泊まるのは今でもおっかない。

イタコの口寄せは、名前と命日を言うだけなのに何でも言い当てるよ。イタコが仏さまに代わり、話をしてくれるんだけど、聞きっぱなしだとダメで、こちらからも話をし、それに答えてもらい、満足して帰るんだ。

おばあちゃんが7年前に亡くなり、一周忌を終えてから口寄せをしてもらったよ。「ばば、いまどこにいるの?」と聞いたら、「うん、行くところがなくてひとりでいる…」と。おばあちゃんは後妻で、あの世ではおじいちゃんは前の奥さんと一緒にいるから、ひとりなんじゃないかね…。

恐山が年寄りだけのものかというと、そうでもない。口寄せをしてもらうために、関西からひとりでやってきたという男性は、身近な人を最近亡くしたばかりだという。子どもを連れた家族連れや、若いカップルの姿も多い。恐山は、日常を離れ、異次元の扉を開くための装置として、少しずつ姿を変えながら新しい世代に受け継がれているように見える。

地獄をめぐって
賽の河原へ

無間地獄、重罰地獄、金掘地獄、血の池地獄、塩屋地獄、賭博地獄、女郎地獄、法華地獄…。地獄にはいろんな名前がつけられている。それほど人が地獄や死後の世界に深い興味をもっているということの証明だろう。

視点を変えるなら、恐山には自然がつくりだした「あの世」のアトラクションが豊富に揃っているといえよう。ハリボテの岩場にはないリアリティー。頭上ではカラスが鳴いているし、硫黄臭もオリジナルだ。

いろんな地獄をめぐり、冥土にあるとされる「賽の河原」にたどりついた。子供が死後に赴き、鬼から苦しみを受けるとされる場所だ。子供が小石を積んで塔をつくろうとするが、鬼が登場し、崩してしまう。子供が親を慕って泣いていると、地蔵菩薩が姿をあらわし、抱きあげて救ってくれる。

その「賽の河原」を再現するかのように、「この世」でもところどころに石が積まれ、供えられた風車が、音もなく回っている。

地続きになっている
地獄と極楽


極楽浜の無縁仏は、白い帽子をかぶっていた。 手前に積まれているのはゴミではなく、お供えのお菓子。

極楽浜から眺める宇曽利湖。

境内には4つの天然の温泉が湧いており、入山料を納めた参拝者は無料で利用できる。写真は神経痛とリューマチに効く「冷抜の湯」(男性専用)。
最年少イタコと呼ばれる松田広子さん。撮影許可をもらい、口寄せの模様を撮らせていただいた。 松田さんの言葉は誠実で、相談者の心を包み込むようなおだやかさにあふれていた。 口寄せは、残された人に「心の納得」を与える役割を果たしているのかもしれない。

イタコは恐山大祭の期間中のみ境内に夜店の屋台のようなスペースを設け、「口寄せ」を行なう。予約制ではないので、早朝から長蛇の列が続く。

やがて景色がめくれるように、湖と白い砂浜があらわれた。多くの人が無言で手を合わせている。60メートルも続くこの砂浜の名前は「極楽浜」。俗世の苦しみから解放されるといわれる、極楽浄土を連想させる命名だ。地獄を抜けないと、たどりつけない極楽のビーチである。

波ひとつない水面をたたえた宇曽利湖とその背後にそびえる山々。湖に山の形が映り込む。これが実際の極楽の景色だと思い込むことができるなら、死に対する恐怖心や不安は、ほぐれていくに違いない。

極楽浜から、いま歩んできた地獄の行程を見渡せば、地獄と極楽が地続きで、すぐそばにあることが再確認できた。「なんだ、地獄のそばに極楽はあったのか…」。不意に安堵し、しばらく極楽に佇む。

多くの日本人が、生と死がどこかでつながっているように考えるのは、「霊が行き来できるくらい、この世とあの世が身近にある」という思いがどこかにあるからではないだろうか。生と死は断絶しているのでなく、連続しているのか? 地獄と極楽が地続きになっているこの景色を眺めていると、そのように思えてきた。

生と死を意識させてくれる自然の装置

恐山をくまなくまわり、イタコの口寄せにも挑み、恐山大祭が一年に一度開催される、生ける者と死者が参加する祭りであることを肌で感じた。温泉が湧き、宿坊も新築されるなど観光化の波にさらされているとはいえ、この地はやはり特別だ。

死者の霊が、墓地ではなく、ましてや遠い世界に漂うのでもなく、恐山にいると考えるのは、「非科学的で矛盾が多い」と異論を唱えることは簡単だ。デスクの前にいれば「恐山の死霊の人口密度は、さぞかし高いだろう」と茶化すことも可能だが、亡き人を思うたびに波立つ気持ちを鎮め、さらに自分の生を確認するには、特別な時間や場所、儀式、祭りなどは有効な誘いになるだろう。

「あの世」は山中や山頂にあるという民間信仰と下北地方の地蔵信仰、それに仏教が習合し、恐山信仰が生まれたとされている。そんないろんな要素が集まっているせいか、恐山には細かな矛盾は問わないおおらかさが見受けられる。毎年お参りに来るという地元の人々の、故人を語る陽気な口調がその思いに拍車をかける。むしろ短い夏を満喫するかのように、大祭を自分なりに楽しんでいる姿が見て取れる。

恐山には、どうやら生物における医学的な「死」以外の「死」があるようだ。それは故人を思う人の祈りの数だけあるのだろう。恐山大祭は、「死を生きる」亡き人たちと、実際に生きている人たちが「対面」できる祭り。その舞台となる恐山は、死と生を意識させてくれるひとつの装置のようにも思える。

死を連想させるものを生活から遠ざけて生きる現代人にとって、「あの世」をめぐる旅は、自身の生き方を再点検し、生を新たな視点でとらえるひとつのきっかけになるかもしれない。






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