誰のものでもない夜景。
しかし、そこに新しい価値を見出して、
限りないビジネスの可能性を創造した人物がいる。
元編集者の丸々もとおさんである。
日々変わりゆく夜景を追いかける丸々さんに、
夜景にかける思いをうかがった。
【プロフィール】![]() 丸々もとおさん ・ MOTOO MARUMARU
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日本の夜景に最も執着し、幅広く見つめてきたのが丸々さんだ。 「日本は規制の問題で赤く点滅する航空障害灯の灯がダントツに多く、心臓の鼓動のようです。また、蛍光灯の団らんの灯が日本の特徴です。日本は世界で一番夜祭りが多い。夜をネガティブにとらえるよりは、夜祭りや送り火など、夜に思いを馳せる。日本人と夜のかかわりは秀でていると思います。そういうものが現代において目覚めただけの話ですよね」 東京は高いところというと展望台ぐらいしかないが、地方では家の近くに山がある。地方の人にとっては「夜景に行こう」という言葉が一般的な地域もあるという。 「みんなが日常的に高台から見下ろして夜景を眺めている。老若男女を問わず、そこで会話を楽しんでいます。元来日本人が持っていた“月を愛でる文化”とリンクしていると思うのです」 しかし、潜在的なニーズを掘り起こしたのは、丸々さんが夜景評論という活動を始めた90年代以降であることは間違いない。 |
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小学6年生から大学3年まで行っていたボーイスカウトは、丸々さんに夜景に目覚めるきっかけをもたらす。ハイキングの帰りに見た大菩薩峠での夜景。「夜の街ってこんなに美しいのか」と感動した。 それからは、夜中に抜け出して自転車で埼玉から荒川のほうまで行き、5分ほど夜景を見てから帰ってきたという。中学までは単独、高校では友人、大学では車を持つようになって友人や彼女と夜景を見に繰り出した。 「夜景が純粋に好きで、好きだから見に行くという、ただそれだけ。恋愛と同じです。好きだから会いに行く」 夜景鑑賞は趣味に過ぎなかった。仕事ではぴあを経て、「どんな雑誌や書籍もこなせるスーパー編集者になりたい」とダイヤモンド社、KKベストセラーズ、リクルートで編集者として活躍した。 最初の転職後、出版系の勉強会で書籍の企画を持ち寄ることになった時、「夜景が好きだったなあ。夜景のガイド本はないからそれを本にしよう」と思いつく。いくつかの出版社でプレゼンを行ない、やっと出版までこぎつけた後は「売る」ことに力を注ぎ、次の出版へとつなげた。それまで存在さえしなかった夜景評論家はこうして生まれたのである。 ![]() 夜景評論家オンリーの活動を始めて3年半。 「なぜカップルは夜景を見に行くのか不思議に思い、科学的に知りたくなって色彩心理学や光治療などを学び、『東京癒しの夜景』という本を出版。色によって癒され方が違うとわかりました。ただ、それをまとめるのに3年くらいかかった。 その後、民俗学、文学、美術史や観光学など、夜景を学際的に研究したいテーマを数えたら、30テーマにのぼった。30テーマ×3年で90年。
一方、サラリーマン時代から、書籍はレストランバー、ドライブなどテーマを変えながら出版、90年代前半は夜景情報をストック。そのうちに宿泊プランのプロデュース依頼が舞い込むようになる。 「施設に手を加えるのではなくて、施設をどう使ったらお客さんが最適な夜景鑑賞の環境を作れるか」をテーマに、“ベッドのこの横の照明を30度絞り込みましょう”などとアドバイス。 ホテルの客室ごとに異なる夜景の鑑賞ポイントをロケーション、客室タイプの違いに応じてアイディアを細かく提供し、成功した。 情報収集は、夜景評論家として第一人者(といっても一人だが)となった今でもアナログ的だ。 「他人の情報は一切参考にしません。カンみたいなもので全部自分で見つける。そのほうが達成感があります。こっちに行けば確実に見える、というのでは素直に感動できません。文明の利器を利用すれば利用するほど生きている感じがしない」 運転している最中でも夜景が気になり、高速道路を降りることがある。知らない山道へ入り、時には泥にまみれて絶景スポットを探すこともあるという。「一期一会は大切にしたい。また来られるかどうかわからないから見ておきたいんです」 夜景を探すのは、そんなにカッコイイものではないのだ。しかし、どんな状態であっても、どんなにキツくても「見たい」というシンプルな動機が丸々さんを動かしている。夜景の可能性をこれほどまでに広げた功績は大きい。 「アマチュアの人は“オレはこれを知っている”と言いますが、それは自慢でしかない。どう伝えるのかということが一番大切です。自己満足である一方、私は編集者だったので、夜景の美しさをどう伝えたら人は行動するのか、心を動かすのか、そういう視点をずっと大切にしてきました」 ![]() 各地の展望台活性化、日本夜景遺産(※ウェブ紹介参照)の推進、夜景ナビゲーターの育成や民間資格化への準備など、やりたいことはまだまだたくさんある。 「将来的には夜景を楽しむためのホテルを作りたいと思います。後は夜景観光の活性化。日本には夜景鑑賞というオリジナルの文化があります。日本人は夜景が好きなので外国に行くけれど、海外から夜景を見に来られるお客さんはほとんどいません。ですから、日本の夜景を外国人が見に来るところまで夜景観光の活性化を図りたい。日本は家族の絆を深める民族なんですよ、こんなに素晴らしい夜景が見られるところがたくさんあるんですよ、と外国人に紹介したい。 それで滞在型の外国人のお客さんが増えていろんな街が潤っていく。その流れで夜景を楽しむホテルを作れたらと思います」 光と闇のコントラストがあやなす夜景。今後、丸々さんはどのようにスポットライトをあてるのか、楽しみである。 |