青春アイドル映画で一時代を築いた映画監督の河崎義祐さんは、
9年前、高齢者を対象に無料で「映画の出前」を始めた。
ボランティア活動を通じて現実の人間ドラマにふれ、
これまで気づかなかった映画の力を知ったという。
河崎さんはこの活動の協力スタッフを「映画を通じて
感動を届ける使者」の意味から“シネマ伝道使”と呼ぶ。
河崎さんが映画に託して届けているもの、そして活動から得たものとは何か?
出前上映の会場に“シネマ伝道使”を訪ねてみた。

ひとりで始めた自分ができるボランティア

【プロフィール】
NPO法人 シネマネットジャパン理事長
かわさきよしすけ
河崎義祐さん
1936年、福井県生まれ。慶応義塾大学卒業後、東宝入社。宣伝部から助監督に転じ、黒澤明監督、今井正監督、岡本喜八監督らに師事。1975年、『青い山脈』で監督デビュー。主な作品は『晩歌』『あいつと私』『残照』『炎の舞』『青春グラフィティ スニーカーぶるーす』『プルメリアの伝説 天国のキッス』など。著書に『映画の創造』、『映画、出前します』などがある。1996年、映画館に行けない高齢者や体の不自由な方のために、自宅や施設へ出向いて映画を上映する「映画の出前」サービスを開始。2005年7月、NPO法人シネマネットジャパン設立。この活動により、2005年度文化庁映画賞(映画功労表彰部門)受賞。

山口百恵、近藤真彦、田原俊彦、松田聖子などが主演する青春映画の監督として名をはせた河崎義祐さんは、映画ファンへの積年の思いを語る。

「東宝の文芸名作路線で何本か監督した後、生まれて初めて映画にふれる小・中学生が『映画ってこんなにおもしろいんだ』と思ってくれるならそれでいいと割り切って、アイドル映画を量産しました。当時は、劇場から去っていった大人の映画ファンを二度と追いかけまいと思っていましたが、現在行なっている上映サービスは、往年の映画ファンとの再会のようなものです」

河崎さんは50歳になったとき、ボランティア団体『銀の会』を始めた。スポーツメーカーや文具メーカーから不用になった商品を教材として譲り受け、アルゼンチンの日本語学校に送り届けた。

「ボランティアを続けながら、映画に携わってきた私が役に立てる分野は何だろうと考えました。劇場で見られなくなった懐かしい映画を寝たきりのお年寄りに見てもらうことなら、私ひとりでもできるかもしれない。そう考え、最初は団体で見てもらうのでなく、たったひとりのための上映を考えました」  1996年、60歳を迎えた河崎さんは、発案を実行に移した。「無理をせず、できる範囲で」の言葉どおり、たったひとりで始めたボランティアだ。全国から寄せられる注文に応えるために、車にスクリーンやプロジェクターなど上映器材を詰め込み、自ら運転し、映画の出前を続けた。 阪神淡路大震災後の神戸、新潟中越地震の被災地にも駆けつけた。  2005年9月、上映回数は570回、動員数はのべ28,000人を超えた。広く事業を展開するために2005年7月、NPO法人シネマネットジャパンの設立にこぎつけたばかりだ。



映画に感動する人たちが映画の力を教えてくれた


新人の"シネマ伝道使"である松本さんに 機材のセッティングの仕方を教える河崎さん.


上映中、真剣なまなざしでスクリーンを見る河崎さん。


「同日の作品は、市川崑監督作品『ビルマの竪琴』(1956年製作)。上映に使えるのは、業務用使用許諾証を得たビデオに限られる。河崎さんは「みんなが気楽に使える ライブラリーを設けたい」と語る。


「この作品の公開は昭和31年。皆さんはその頃、何をしていましたか?」と、上映前にトークを始める河崎さん。

「私のニュースソースは、訪問看護や介護に携わる皆さん。病気だけど映画を見ることならできる、という人の情報を知らせてもらうのです」

河崎さんは映画を撮っているときには知りえなかった、現実のドラマに出会うようになる。


「サービスを始めた初期の頃、奥様が10年寝たきりというご夫婦のお宅に参りました。奥様の注文は、黒澤明監督の『生きる』でした。10年間、ご主人が食事から何からすべて奥さんの面倒をずっと看てこられた。ご主人も奥さんも明るくて立派でした。その二人が目の前で『生きる』を見ている。しかも奥さんは泣きながら…。上映終了後、夫婦でお礼を述べられた。そういう人に会うと、ああ、喜んでもらえて良かったと思います」

やがて老人ホームや障害者施設などから“出前の注文”が届くようになる。往年の映画ファンとの再会だ。高齢者と接する機会が増えた河崎さんは、 多くのことに気づいた。


「会場に出向くとお年寄りの方が、笑わせてほしいと身構えているんです。映画監督の新藤兼人さんがエッセイでこう言っておられます。『老人会に行ったら、日本の老人はみんなニコニコと笑っているけど、あれは愛想笑い。心から笑うことなど高齢者にはないんだ』と。私はその事実を肌で感じ、上映するだけでなく、皆さんに笑ってもらえるような話をし、その映画を見た当時はこうだったなど参加者の映画にまつわるエピソードを聞かせてもらうようにしました」

ある人にとっては、映画と思い出は深く結びついている。こんなエピソードがある。


「木下恵介監督の『二十四の瞳』には、大石先生(高峰秀子)が教え子に『戦争で死んじゃいけない』と語るシーンがあります。この映画の上映後、80過ぎのおじいちゃんが泣いていたんです。『今日、映画の中で先生がおっしゃった“戦場へ行っても死ぬな”は、私の母が私に言ってくれたのと同じ言葉。私は母の言葉を抱いて戦場から戻りました。今日の映画の中に母が生きています』と、泣きながら話してくれました」

さらにこんな出来事もあった。


「ある日、『生きる』の上映終了後、ひとりだけ椅子に座ったまま動かないご婦人がいらっしゃった。具合が悪いのかと尋ねると、『自殺した弟に、この映画を見せてやりたかった…』と。『生きる』が亡くなった弟さんを思い出すきっかけになったのです。そのとき、もしかしたら映画には自殺を防ぐような力があるのではないかと思いました」

河崎さんは、心を揺さぶられる観客を目の当たりにし、映画の力にふれたという。


「私はあくまでも娯楽作品だと思って映画を製作してきました。映画に生死を左右するようなパワーがあるなど予想だにしませんでした。上映サービスを行わずに、一筋に映画だけ作ってきたとしたら、私は映画のパワーを知らずに今日を迎えていたでしょう」




映画の出前サービスに感謝している自分


 ■ 洋画■■

 『カサブランカ』
   (デヴィッド・リーン監督)
 『第三の男』
   (キャロル・リード監督)
 『アラビアのロレンス』
   (デヴィッド・リーン監督)
 『風と共に去りぬ』
   (ビクター・フレミング監督)
 『素晴らしき哉、人生!』
   (フランク・キャプラ監督)


 ■ 邦画■■

 『愛染かつら』
   (野村浩将監督)
 『東京物語』
 『晩春』
 『秋刀魚の味』
   など小津安二郎監督作品


出前した映画が、その人にとって最後の一作になることもある。

あるとき、ホスピスに入院している、河崎さんのいとこから「大好きだった映画を入院中のある人にもう一度見せてあげたい」と連絡が入った。入院中の50代の方のリクエストは『風と共に去りぬ』だった。 「『風と−』は前後編で4時間を超える作品なので、それより短い『サウンド・オブ・ミュージック』に変更してもらいました。命の炎が消えかかると、映画を見るにも相当なエネルギーを使います。見終わったあと、その方の枕は汗でびっしょりでした。そしてその方は、2週間後に亡くなりました。人生の終幕に思い出の映画を見る…。そういう注文も、これから増えてくるのかもしれないと思います」 病気に伏せている人に、配慮は欠かせない。 「『来年の春にまた映画を見ましょう』と言って別れます。病気がよくなったら次はどんな作品を見ようか、と希望を持ってもらうことが大切です。それだけのことで1年延命する人もいるのです」

そして河崎さんは、先人監督のテーマ設定の確かさや人間観察の深さを再発見した。

「何年経っても新鮮、そこに描かれているのは現在の日本人と同じ、という作品があります。あの監督は、昔は何も語らず、何を考えているのかわからない人だったけど、実は素晴らしい監督だったんだと発見するのです。それは私にとって先輩監督の墓参りのようなもの。そういった意味では、人様にサービスしているようでいて、このサービスにいちばん感謝しているのは自分なんだろうと思います」


「会場にオーラが行ったり来たりしているときには元気になります。オーラって目に見えないけど何だろうと考えると、それはおそらく『ありがとう』という気持ちなんでしょう。皆さんから『ありがとう』をたくさんもらって帰る日は、私も元気になります。他人の喜びが、やっと自分の喜びになってきました。 それが私の財産になってきたように思います」

上映や解説、運転などを担う協力スタッフを、河崎さんは“シネマ伝道使”と呼ぶ。“師”でなく“使”を用いる理由は、 映画を使って生きる勇気や感動を届ける“使者”だからだ。

かつての映画ファンと再会したり、先輩監督の鎮魂を祈ったり、高齢者に勇気や希望を届けたりするだけでなく、「自分自身も元気になる」と河崎さんは語る。

「幸いシネマ伝道使が8人になり、これから少しずつバトンタッチしていこうと思っています。このサービスは上映するだけでなく、会場の雰囲気づくりが大事なので、ある程度の経験が必要ですが、若い伝道使にそれをつないでいきたい」

ある人にとっては、映画と思い出は深く結びついている。こんなエピソードがある。

高齢化社会が求める出前サービスを担う
“シネマ伝道使”は、今日も全国で誰かのもとに懐かしい映画を届けている。

WEB

BOOK

NPO法人 シネマネットジャパン
http://www.cinema-net.ecweb.jp/
『映画、出前します』
河崎義祐著/毎日新聞社/
1,500円+税

60歳を迎えた河崎さんがひとりで始めた高齢者への映画の出前上映。涙と笑いにあふれる上映会のエピソードをつづりながら、ボランティアのあり方や老いの現状を描くエッセイ。



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