■認めたくなかった自閉症
東田直樹君とお母さんの美紀さんの共著である『この地球にすんでいる僕の仲間たちへ』という本の中で、美紀さんはこう書いている。
「上の娘とは1歳半しか離れておらず、子育てに追われる忙しい日々が始まりました」「直樹は(中略)すごくかわいくて、どこに連れていってもほめられる自慢の息子でした」
ところが遊び方を見ても、絵本の読み聞かせをしても、直樹君が不可解な行動をするように思え、自閉症ではないかという不安が日増しに大きくなっていったという。
「でも、なかなか病院へは行けなかったんですね。心のどこかで自閉症であって欲しくないという思いがあり、また、障害を受け入れるだけの心の余裕が、その頃にはありませんでした
■ある日、奇跡のような出来事が
発達に遅れのある子供の指導をしている「はぐくみ塾」で筆談の練習を始めて数か月過ぎた1997年5月(4歳10カ月)のこと。直樹君は堰を切ったように鉛筆を持って大きな字で書き出した。画用紙18枚に物語「くもをそらに」を一気に書き終えた直樹君は、大変満足げだったという。
「きちんとストーリーになっていて、それを読んだ私のほうがびっくりしました。まだ、直樹は自分の名前も言えなかったんですから」
一方で美紀さんの胸に不安がよぎる。「誰が信じてくれるだろうか」ということだ。
「私にも奇跡に思えました。でも、それをあまり人に話しませんでした。端から見たら話もできない子なわけで、そんな子が童話を書くことのほうが信じられないでしょう」
物語には直樹君の内面が反映され、「言えないことを物語に託していると感じた」そうである。それをきっかけに、直樹君はどんどん書くようになる。言葉を外に出せなかった時間を取り戻すかのように書き綴った。今も美紀さんはそれを大切に保管している。
■砂を観察していた常同行為
直樹君が言葉を操れるようになって「次第に心の内がわかるようになってきた。それが何よりもうれしかった」と当時を振り返って美紀さんは言う。
本の中でもそのことに触れているが、直樹君は砂場で砂を両手ですくって落とすということを繰り返していた。自閉症の子によく見られる同一行動の繰り返し(常同行為)と思っていたのだが、言葉というコミュニケーション手段を得た直樹君によって「砂は指の間から落ちていくのと舞うのがあって、その違いは何だろうって見ている」と知る。きちんと意味のある行動だったのである。子育てのマニュアル本にある「脳の発達が遅れている子がよくやる常同行為」にも、直樹君なりの理由があったのだ。他にも「跳ねること」「手をひらひらさせること」について、著書の中で自分の言葉でその行為の持つ意味が書かれている。
4歳で筆談、5歳で指筆談、その後の文字盤と、次々に自分なりのコミュニケーション方法を身につけていった直樹君。
「直樹は言葉が頭の中に浮かんでは消えてしまうんだと言います。だから言葉となってうまく出せないと。指筆談は私と直樹の間でしか使えません。でも、文字盤を使えば他の人にも直樹が会話していることがわかってもらえます」そう言いながら、美紀さんは自作の文字盤を見せてくれた。
■客観的な評価を得た公募
これまでいくつもの公募で賞を取ってきた直樹君。そのきっかけを美紀さんに聞くと「客観的な評価が欲しかったんですね。母と子の間で満足していたのでは、行き詰まってしまう。それに、直樹も目標があった方が頑張れますし。公募はテーマと枚数が決められていて、〆切もある。だから取り組みやすかったんです。賞を取って認められることは、直樹自身の励みになりました。やはり誉められることが少なかったので、賞状をもらえるとうれしいようでした。作品集になったときにはプロのイラストがついて、他の人に認められたという実感がわいたと言ってました。そして、いつしか私の気持ちもふっと軽くなっていることに気がついたんです」
直樹君は決められた枚数に向かって下書きもせず書き出す。現在はパソコンを使うが、以前の原稿用紙に書いていたときもそれは同じで、どんな長さのものでも指定の枚数ぎりぎりで終わるように書き上げるという。美紀さんが「この展開では今回はさすがに規定枚数では無理かもと思って見守っても、不思議とぴったりなんです」と語る。
「書いている間は普通の人になれる。そして物語の中では自由に話せる僕がいる、って言います。脳が勝手にオン・オフをしてしまって思うように話すことはできないので、せめて物語の中だけでもということなんでしょう。同じように、宇宙や水の中にもとても興味があって、たびたび物語に登場します。ハンディを感じさせない理想の世界なんだと思います」
受賞をきっかけに本も出た。これまで自閉症の子どもが自身の言葉で内面を綴ることがほとんどなく、「話ができないこと=考えることができない」と思われがちだったが、「会話は苦手だけれども、自分の中にたくさんの言葉を持っていると知って欲しい」と直樹君も美紀さんも願っている。
Text by:中川綾菊