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産業革命期からヨーロッパ鉄鉱産業の中心として栄え、
以降、20世紀のテクノロジーを支えてきたドイツの産業地区ルール地方。
第二次世界大戦後に役目を終え、多くの炭鉱が次々に閉鎖されたが、
炭鉱や鉄鉱工場は壊されず、残された。 その炭鉱跡や工場跡が近年、
博物館や美術館などの公共スペースとして新たな生命を授かり、
観光と雇用の両面で地域再生に貢献しているという。
日本での成功例は少ないが、ドイツでは新しいパラダイムの創出として
成功をおさめている「産業遺産」を確認すべく、ドイツ・ルール地方へ向かった。

持続可能な社会を実現するひとつの方策。

そして炭鉱跡は残った

Web


Nordrhein-Westfalen Tourismus(ドイツ語・英語)
http://www.nrw-tourismus.de/

エッセン、ドルトムント、デュイスブルクなどルール地方の町は、19世紀後半から産業革命により繁栄した炭坑の町だ。当時は世界最大規模の開発地区であった。
 しかし第二次世界大戦後、60年代に入ると、この地区の炭坑は次々と閉鎖への道を余儀なくされた。70年代には破棄する案も浮上したが、社会的にエコロジカルな思想が生まれてきた当時の旧西ドイツでは、地元の政治家と経済界、産業界のリーダーたちの協力によって炭坑は壊さず、残すことになった。  第二次世界大戦後、日本と同様に復興、繁栄を目指した旧西ドイツは、50年代から「経済ミラクル」と呼ばれる高度成長期を迎えた。その反面、シリアスな環境汚染問題などを抱え、自然回帰やリサイクリングといった意識が芽生えていった。自由な思想やユートピアを求める若者運動、歴史や自然を考え直す運動も産業遺産に影響を与えた。
 その後、1989年にはエッシャー川流域の再建のための国際建築展「IBAのエッシャーバーク・プロジェクト」が立ち上がり、新築を含んだ大改造が遂行された。  ルール地方の歴史的遺産は、単に完璧に原形をとどめた建築様式のお手本ではなく、人々の力と汗の結晶であると位置づけられている。しかし現在のターゲットは、古き良き時代を懐かしむ人だけではなく、その時代を知らない好奇心旺盛な若い世代である。伝説となった建築は、ミュージアム、カフェ、イベント・スペースへと次々に目的と方向性を変え、再び人の集まる場所を作り出した。

アイコンとなったエッセンの炭坑関税同盟(※1)、第12立て坑

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ユネスコ世界遺産にもなっている第12立て坑。敷地へ入る正面入口に面しており、ドラマチックに来訪者を迎えてくれる。
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「レッド・ドット・ミュージアム」部分の外観。

「ルール地方の復興はドイツ東西統一ではなく、グローバル化の中で150年の歴史を誇るこの地域が、どうやって生き延びて行くかが問われた結果かと思います。その中でも最初に保存が決まった炭坑関税同盟は、アイコン的存在ですね」  エッセンを拠点とするルール地区観光局長ディーター・ネレンさんが説明してくれたように、広い敷地の入り口にそびえ立つ“立て坑”は、まるで教会の塔のような神聖なオーラに包まれていた。  1928年から32年、バウハウスと同時代にフリッツ・シュッペとマルティン・クレマー(※2)によって設計されたこの炭坑は、機能建築の代表として当時“世界でもっとも優れた美しい炭坑”に挙げられ、2001年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。立て坑部分は現在も使用されていて、くるくるとまわる車輪部分が可憐だ。  2カ所の立て坑、コークス製造工場と敷地は100ヘクタールに及ぶ壮大なものだ。ボイラーの建物は、イギリス人建築家ノーマン・フォスター卿(※3)の設計により「レッド・ドット・デザイン・ミュージアム」に改築されている。建物のてっぺんにあった煙突は無くなったものの、ミュージアム内は錆びたボイラー本体部分がそのまま残され、要所要所を上手く利用して、最新のデザイン・オブジェクトが陳列されている。訪れた日は平日だったが、一般人やオランダからの社会科見学の中学生など見学者は多かった。  「ここの建築は、建設後60〜70年には炭坑が閉鎖することを想定して設計された建物なので、維持していくということは容易ではありません」  炭坑関税同盟財団のウテ・ディルヒホルツさんは、そう説明する。  2006年春には、妹島和世と西沢立衛の共同設計事務所「SANAA」による新築のデザイン学校が敷地内に誕生する。また夏にはレム・コールハース(※4)率いる「OMA」が設計した石炭洗浄所跡の建物に展示スペースが完成する。「ENTRY2006」と称する建築とデザインのフォーラムも予定され、常に動きのあるデザインや建築業界の広告塔的な役割を果たしている。

館内のテキスタイルの展示方法や
ライティングはどれも凝っている。
錆びたボイラーを包み込む展示は
スペースごとに驚きの連続だ。

廃墟から生まれた公園「ランドスケープパーク」、
デュイスブルグ・ノードと炭坑第4立て杭「産業ミュージアム」


200ヘクタールという壮大な産業システムの廃虚が公園となったランドスケープパーク、デュイスブルク・ノード。 思った以上に緑も多く、紅葉を楽しむ人もちらほら。
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「産業ミュージアム」の展示スペース。炭坑での厳しい訓練や日常をインターアクションなど交えてユニークに展示している。

ルール地区観光局広報担当のヤン・ディルク・グリムシュタインさんに、数ある公園の中から特に薦められたのが、デュイスブルクにある「ランドスケープパーク」だ。1985年に閉鎖された製鉄所の敷地面積は200ヘクタール。エントランスを入ると、背景にある鉄パイプラインが少しシュールなものの、乳母車を引く若いお母さんや老夫婦が散歩を楽しんでいた。 広いランドスケープパーク内には、テーマパークとして工場部分を再利用している部分がある。ガスタンクは水槽として再利用され、ダイビングを楽しめる。旧防空壕の壁を利用したクライミングウォールでは70メートルの高さまで登ることができる。上からの風景は絶景だそうだ。子供のために特に新しいすべり台やアトラクション、キャラクターなどを用意するのではなく、工場にあったものを上手く再利用して、しかも誰もが参加して楽しめる場所に変える思想と技術は、日本の産業遺産の参考になるであろう。 ドルトムントの炭坑は、エッセンよりも前の1898年に建設された。ドイツのアール・ヌーボー、ユーゲント・シュティール建築(※5)だ。赤レンガ造りの入り口部分はまるで修道院か学校のようで、神聖さや静粛さという言葉がぴったり。 「産業ミュージアム」は実際に使われていた立て坑に上がることができるほか、国の重要文化財として残されたエンジン室がそのまま残され、炭坑の生活から生まれたライフスタイルが展示されるなど、バラエティに富んでいる。年齢に関係なく、楽しめる空間になっている。



ランドスケープパークの変圧所を改造して誕生したカフェ。巨大なコイルは今ではお目にかかれない芸術作品 ミュージアム・スペースに変身したガスタンク。大型ショッピングセンターが隣接しており、集客力の面から経済効果が高まっている。


よみがえったルール地方の未来への期待


細部のデザインが美しい「産業ミュージアム」のエンジン室外観。

中心のオペレーションシステム部分には大理石が用いられ、当時の炭坑がいかに 重要であったのかが理解できる。

展示されているエンジンは、大人の背丈より大きなものばかり。

西はデュイスブルク、東はハムまで広がるルール地方は、“ルート・産業文化”という観光ルートのモデル作りによって、それまでは距離は近くても気質が微妙に異なる近郊の町を精神的につないだ。地域と地方自治体が協力して奨励するルール地方の再建はEUのオフィシャルプロジェクトでもあり、地元意識も高いようだ。 2006年に開かれるサッカー・ワールドカップは、ドルトムントとゲルゼンキルヒェが開催地となっており、今から「エッセンの炭坑関税同盟に大スクリーンを設けよう」というプランが浮上している。観光局長ネレンさんは言う。 「私たちは、他では取り上げていない“工業の歴史”という切り口での観光をスタートしました。ただし、過去のノスタルジーばかりではダメです。時代に合ったマーケティングにより、今は文化面をカバーしないと新たなダイナミズムは生まれてきません。私たちは、演劇、ダンス、アートなどのイベントを常に企画しています。この地方ならではのこうした動きが地元の若者はもちろんのこと、日本やオーストラリアなど遠い国からのビジターにとっても魅力となれば嬉しいです」 ルール地方は、2010のヨーロッパ文化都市(※6)候補として申請中である。再生に成功し、鮮やかによみがえったルール地方をヨーロッパのみならず、世界にアピールするプロジェクトだ。戦後、日本と同じように復興を遂げたドイツの「産業遺産」。その成功例は、日本の産業跡地の今後の展開や開発にも刺激となるのではないだろうか。




Web

Ruhrgebiet Tourismus(ドイツ語) http://www.atico.de/RTG_170605/

Web

red dot online(英語・ドイツ語) http://www.red-dot.de/

※1 炭坑関税同盟 18世紀半ば、産業家の買い占めではなく、ルール地方の小さな都市がレールを引いて連結。非税システムを導入した画期的な炭坑同盟。
※2 フリッツ・シュッペと
 マルティン・クレマー
ルール地方を拠点に20年代の産業建築を手掛けた建築家デュオ。
※3 ノーマン・
 フォスター卿
ロンドン在住の建築家、インテリアデザイナー。代表作は、香港上海銀行本店ビル、ドイツ国会議事堂など。
※4 レム・
 コールハース
オランダ人建築家。都市開発プロジェクトなども手掛けるロッテルダムの建築事務所OMA主宰。2008年完成予定の北京の放送局CCTV&TVCCほか大プロジェクトが進行中。
※5 ユーゲント・
 シュティール建築
19世紀末期からのアート・アンド・クラフツの動きから生まれた芸術傾向。ドイツでは雑誌『ユーゲント』からきた言葉。
※6 ヨーロッパ文化都市
 ルール地方2010
ヨーロッパ・コミュニティーによって1958年にスタートした、芸術や文化を通してヨーロッパの地方都市を紹介するプロジェクト。ルール地方は2010年の候補地。 




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